いつもココロに?マーク

sustena.exblog.jp
ブログトップ | ログイン

タグ:隈研吾 ( 9 ) タグの人気記事


2015年 06月 13日

出張続き

今月は出張が多い。
まず6月第1週に富山、その翌週が滋賀。来週には気仙沼の唐桑と和歌山、以上日帰りで、その翌週が札幌と函館である。

富山は北陸新幹線に乗って行った。座席が広くて気持ちイイ。
しばらく実家に帰っていなかったので、一泊して、翌朝いちばんの新幹線で会社に直行。たしかに乗り換えのないぶん、まぁ便利ではあります。
ただし、富山のひとは、東京に行くにはいいけど、大阪や名古屋に行くには金沢で乗り換えなくてはならなくて不便になった、とぼやいてるらしい。

ところで父親は米寿で、10年前に訪ねたときはもう免許は返上するといってたのに、数年前に帰ったときは新車を買っていて驚いたのだけれど、やはりいまだ週に何回かは運転するという。一昨年まで二駅ぐらい先のところにあったスーパーが、徒歩20分ぐらいの最寄り駅近くにもにできたので、「これなら自転車でも行ける」と言い出したので、まだ自動車のほうが安全だからと止めたのよ、と姉が笑って教えてくれたけれど、老人とクルマ問題ではひとごとではないのだった。

百貨店が移転した跡地に、隈研吾の設計した建物が完成したというので、取材帰りに寄ってみたら、オープンはまだ先だという。ざーんねん。「TOYAMAキラリ」って、なんだかなーの名前だけど、図書館とガラス美術館と銀行が入った複合ビルらしい。
c0155474_17274423.jpg

c0155474_1734149.jpg

c0155474_17341090.jpg

南面は、壁面緑化パネルと太陽光発電パネルがつくみたいなんだけど、太陽光発電パネルがこんな角度で効果があるんだろうか?
c0155474_1735569.jpg

c0155474_1736297.jpg

写真は駅で食べた白海老天丼。
c0155474_17364448.jpg


by sustena | 2015-06-13 17:30 | | Comments(8)
2015年 04月 22日

日本人はどう死ぬべきか?

c0155474_13293786.jpg養老 孟司と隈 研吾の対談『日本人はどう死ぬべきか?』(日経BP社 2014年12月刊)を読む。

全部で6章に分かれていて、お互いの幼少のころや隈の建築作品などを例にしながら、人間と死と建築について話し合う。お互いのこれまでの本でも何度もしゃべっている話であり、新鮮味はあまりないが、印象に残ったフレーズを書き出しておく。

歌舞伎座のバックの超高層ビル=捻子連子格子・・・残業時の光が漏れてこない
壁の白・・珪素の粉を粉体塗装の技術で吹き付け深みのある優しい白に
現場打ちコンクリート(4期歌舞伎座)→鉄骨に部材を乾式ジョイントで留める
修理のときにやりやすい よそで作って組み立てることができる
パーツを取り換えていくことが可能 =動的平衡の世界

時間を引き受ける建築 建築は死を超える
自分の頭で長期的な効果を想像しながら作っていくことの大切さ

南三陸町志津川地区の復興計画

市街地のかさ上げは決定
でもそこの暮らしは漁業が基本で海から10メートル遠ざかることはある矛盾をかかえこむことになる。通常ならかさ上げ部分をコンクリートで埋めるが、もっとやわらかいギャップにしたいと護岸に緑の植栽を持ってきて、ギャップの通路をウッドデッキにした。
前例がないので苦労したが、街づくり協議会も積極的に支持をし、宮城県の理解にもつながっているという話

二人称の死を考えるということ

1章 自分は死んでも困らない
2章 年をとった男はさすらうべきだ
3章 『方丈記』から考える
4章 時間を超越する歌舞伎座
5章 日本人とキリスト教的死生観
6章 人が生きる「舞台」が都市に必要だ
c0155474_22573412.jpg


by sustena | 2015-04-22 23:51 | 読んだ本のこと | Comments(0)
2014年 05月 30日

隈 研吾『僕の場所』

c0155474_21584074.jpg隈研吾の書き下ろしの自伝的な建築エッセイ『僕の場所』(大和書房 2014年4月刊)を読む。

この本は、ロラン・バルトの『彼自身によるロラン・バルト』に着想を得て、隈研吾という建築家が、これまでの来し方を振り返りながら、その発想の原点となる育った場所や読んで影響を受けた本など、隈という樹木の幹を創り上げてきた土壌について説き起こした本。

生まれ育った大倉山、農家のジュンコさんちについて---まわりは全部死んだような郊外住宅地だったのに、そこは、大地とふれあい、野菜を育て、生命のニオイに満ちあふれた場所だったこと、そんな里山と地続きだったような場所に、父が少しずつ工夫して増築を重ねてきた家に住んでいたこと、幼いときに遊んだ竹ヤブやへ土間、,父が「だましだまし」住まいを作りあげてきた精神が、自分の建築の発想にも息づいていること。

幼稚園時代、7駅離れた田園調布幼稚園に通ったことで、「都市計画」と、教会という「建築」に出会ったこと、デザインが好きじゃない電車に乗りたくないとダタをこねたことが、現状を否定する「拒否権」強い真の第一歩であったこと。それが後年の『10宅論』にもつながっていること。

そんなひねくれたこどもが、丹下健三の代々木体育館に衝撃を受け、国を背負う垂直の意思に触れ、建築家を志すようになり、中高校と通った栄光学園で、共同会志向で身体を重視するイエズス会の精神にふれ、そこでの黙想体験のときに読んだ吉田健一の『ヨオロッパの世紀末』によって、進歩や工業化などはもはや時代の徒花で、真の近代とは、反ユートピア的で、優雅で諦念に満ちた成熟した文化こそがその特徴であって、小さい建築、弱い建築へと目を向けていかなければならないと感じるようになる。

そして、大学に進み、鈴木博之や構造家の内田祥哉、原広司に会い、そこで学ぶことで、建築家としてどうあるべきか何をめざすべきかを血肉のものとしていく。

いささか牽強付会の部分がないではないけれども、建築はいまいちおもしろくなくても、素材の発掘やコンセプトのまとめあげた方、地元やクライアントの巻き込み力は天下一品の隈研吾だなぁと、自身のこれまでの作品を上手に自分史の上に実に上手にまとめていることかと、ほおお・・・と思ったことでした。


第1章 大倉山1
(境界人/マックス・ウェーバー/ゴシック/本経寺/農家/エンゲルス/湯河原カントリークラブ/孔、橋/里山/シングルスキン/床/土間/黄色い長靴/竹ヤブ/崩れかけた家/積み木/千鳥/隙間)

第2章 大倉山2
(フレキシブルボード/正方形/設計会議/後藤勇吉/現前性/増築的/中央郵便局/ブルーノ・タウト/関係/歌舞伎座/ブリコラージュ/安さ/紹興酒/光天井/ワイシャツ/ファブリック)

第3章 田園調布
(アーツ・アンド・クラフツ/田園調布幼稚園/拒否/10宅論/セパ孔/レイトカマー/代々木体育館/獣医/垂直)

第4章 大船
(イエズス会/身体/中間体操/黙想/ヨオロッパの世紀末/反ユートピア/1970年/大阪万博/メタボリズム/反建築/トレー/細胞/CIDORI/シカゴ万博)

第5章 サハラ
(オイルショック/モダン/虚の透明性/アメリカの時代/鈴木博之/ジョサイア・コンドル/内田祥哉/スクラッチタイル/フラット/木造精神/オープンシステム/バックミンスター・フラー/テンシグリティー/原広司/サバンナの記録/鏡/湿った集落/コンバウンド/植物/小さなもの)
c0155474_2211332.jpg

c0155474_2212923.jpg


by sustena | 2014-05-30 22:01 | 読んだ本のこと | Comments(0)
2014年 01月 12日

新春浅草歌舞伎 第1部

c0155474_22315585.jpg2年前、猿之助を襲名するるので、今回が最後といっていた猿之助が、再び新春浅草歌舞伎に戻ってきたので、先日,勇んで浅草公会堂に出かけた。演目・配役以下の通り。
c0155474_2230117.jpg


『義賢最期』は、源平布引滝の中のお話で、文楽でも何回か見ている。めちゃ端折って紹介すると──。
舞台は、源義朝が敗死してしまい、源氏一族は存亡の瀬戸際にいる。主人公の木曽義賢も源氏の一族だけどいちおう朝廷方ということになっている。そこへ、源氏のシンボルの白旗の詮議に、清盛の使いがやってくる。そして、源氏の味方じゃないなら、義朝の頭蓋骨を足蹴にしろと迫られ、やむをえず使者を倒してしまう。義賢はその後攻めてきた平家と敢然と戦って、悲運の最期を遂げるというお話。そこに、源氏の武将の行綱や、彼の妻でとってもつよーい小万とおじいさんの九郎助と子どもの太郎吉や、義賢の娘の待宵姫、後妻で木曽の義仲を身籠もっているる葵御前などもからんでくる。まぁイロイロとややこしいんだけど、メインは、最後の立ち回り。愛之助が襖3枚を組み立てた上に乗り、それが横倒しに崩れる「戸板倒し」や、オシマイの場面、中央の階段3段の上から、正面向きで顔からバタッと倒れる仏倒しがミモノ。愛之助、超カッコイイ。

もうひとつの『上州土産百両首』は、泣けるお話。幼なじみの正太郎と牙次郎が十数年ぶりに再会する。アタマが弱く、いじめられっこだった牙次郎をいつも助けてやっていたのが正太郎だった。正太郎は板前修行をしていたが、いまは巾着切り。牙次郎も巾着切りで、別れ際、お互いが互いの巾着をすってしまっていた。
後味の悪い思いをしていた正太郎のところに牙次郎が訪ねてきて、真人間になることを誓う。二人は浅草の待乳山聖天で10年後の再会を約束して別れるが、10年後、正太郎は元の仲間に、牙次郎にやるつもりで貯めたいた200両を揺すりとられて、人殺しのお尋ね者になってしまう。かたや牙次郎は御用聞き。正太郎の首には100両の懸賞がかかっていた・・・。

牙次郎が巳之助、正太郎が猿之助である。巳之助のいちずさもよかったが、やはり猿之助がいい。深みのある兄貴分で、猿之助になって、いっそう風格が出てきた感じである。
c0155474_22183356.jpg

終了後は、雷門の向かいにある隈研吾設計の浅草文化観光センターに寄ってみる。見た目はちょっとダサイ な・・・。
c0155474_22185030.jpg
c0155474_2219011.jpg


by sustena | 2014-01-12 22:20 | Theatre/Cinema | Comments(0)
2013年 05月 03日

隈研吾『建築家、走る』

c0155474_21245583.jpg先日、隈研吾さんの『建築家、走る』(新潮社 2013年2月刊)を読んだ。
隈さんとの共著のあるジャーナリストの清野由美さんが隈さんにインタビューし、それを編集したもの。語りおろしとはいえ、世界を飛び回ってる隈の、ちょっとした合間を縫ってインタビューを重ねてまとめたもので、なんと足かけ5年もかかったという。目新しい部分は少ないけれども、彼の考え方がとてもうまくまとまっている。

1985年のプラザ合意以降の経済のグローバル化を背景に、建築デザインの在り方が大きく変わってきた。ことに1997年にフランク・ゲーリーがビルバオにグッゲンハイム美術館を建てて、「建築がアイコンになって都市を救う」手法が世に広まって以来、ブランド登録された、つまり「キャラが立った」建築家は、世界的なコンペにお呼びがかかり、一年中競走馬みたいに駆り立てられるようになった。

かつて20世紀型の「建築家すごろく」では、タダみたいなけ設計料で住宅設計を手がけて、自分のキャラクターを誇示→小さい美術館→少し規模の大きな文化施設というふうに、地方競馬から中央競馬に出て、世界競馬への出場資格をゲットし、種馬となって安らかな老後を送るというのがアガリの姿で、第一世代、第2世代までは安定的に国内からの発注があったが、安藤忠雄や伊東豊雄らの第3世代は移行期で、バブル期のお金がかろうじて残っていたから国内受注システムの恩恵にあずかれたものの、隈ら第4世代ともなれば国内需要は満たされてしまい、国際レースにエントリーするしかない。仕事がなければ事務所もつぶれる、つぶれないために走り続けるしかなくなったというのだ。

この建築の国際レースで新たなクライアントして登場してきたのが中国である。隈はここで、わずか100万円という設計料で、ならば自分がやりたいことをやるしかないと「竹の家」をつくり評判となる。そして、今や、年始から6ヶ国を世界一周チケットで回り、地球のいたる所で打ち合わせを重ねる生活(学生たちとのエスキスも、空港に向かう車の中だったりするらしい)。そんななかで、日本のゼネコンや建築の発注者がサラリーマン文化にどっぷり漬かっていることを憂い、このままでは日本は世界から取り残されてしまうと、断言する。

隈自身は、大学生時代からアメリカ的な物質主義を疑い、「10宅論」で、はやりの建築をこきおろし、バブル時代にはマツダのショールームのM2をポストモダニズムへの批評精神をこめて設計したつもりだったが、バブルの象徴とみなされて大ブーイングをあび、バブル崩壊後に中央での仕事がなくなってしまう。その後、地方で石の美術館や森舞台など、予算がないという制約のなかで、職人ととことんつきあい、場と素材にこだわった作品を世に問うて、次第に時代の向かう方向とシンクロしてきた。彼が重視するのは、泥臭い現場のリアリティである。

彼が中国の現場で、どんなふうに仕事を進めてきたか、あるいはヴィクトリア&アルバートミュージアム・スコットランド分館のコンペで、審査委員長からの質問にどんなふうに答えたか。超忙しい生活のなかで、瞬時にどんなふうに判断してきたか。

かつて持っていたニヒリズムは、現場に投げ込まれてから消えてしまったという。また、プロジェクトにつきものの政治的な駆け引きや人間関係など、自分の力の及ばないところで、世の中との距離感を感じて「もうイヤだ」と投げやりになったり、誰かのせいにしたりするのではなく、そこでギリギリの解決策を見いだしていく力をつけていく。逆に「もめたらチャンス!」と考えるのだという。

「現在建築家に求められているのは、建築のカタチを作ることではありません。もちろん自己表現などというちっぽけなのものでもありません。この困難な時代に対するソリーション(解決策)そのものです」

3・11を経て、建築に「死」を取り戻したい、と語っていた箇所も印象に残った。

第1章 世界を駆け回る
第2章 歌舞伎座という挑戦
第3章 20世紀の建築
第4章 反・20世紀
第5章 災害と健築
第6章 弱い建築

写真は、豊島の港に面した空家をレストランに改装した、トビアス・レーベルガーの作品。「あなたが愛するものは、あなたを泣かせもする(日本フランチャイズバージョン)」
c0155474_2158176.jpg

c0155474_21581047.jpg


by sustena | 2013-05-03 20:51 | 読んだ本のこと | Comments(7)
2013年 02月 14日

隈 研吾『小さな建築』

c0155474_2305894.jpg「負ける建築」や「弱い建築」を唱えている隈研吾さんの『小さな建築』(岩波新書 2013年1月22日刊)を興味深く読んだ。

冒頭、隈さんは、画期的な発明や科学技術の進歩、天才の個人的な才能や創意の結果として建築が前に進んできたのではなく、実は大きな災害こそが建築を転換させてきたのではなかったかという事実を指摘する。
たとえばリスボン大地震。ロンドンやシカゴの大火、関東大震災・・・。こうした災害を契機に、建築は「強く合理的で大きな」世界へと突き進んできた。

しかし、3.11によって、この強さをめざして、近代合理主義で突っ走ってきた大きなシステムそのものが、大自然の前ではまるで無力だったことが誰の目にも明らかになった。しかしその予兆は前からあった。建築や都市計画の世界は気づくのが遅すぎたのである。新しい未来は、巨大なインフラに頼った砂上の楼閣ではなく、生物が自ら巣を作り、自らエネルギーを手に入れる能動的な小さな存在を志向していくなかにこそある。

ではいま求められる「小さな建築」とは何か?どんな単位が適切なのか?

そこで隈さんは、人間がハンドルしやすい大きさとしてレンガを思い浮かべる。自由に重さを変えられるレンガがあったら・・・。そして工事現場のポリタンクを見てひらめくのである。水を出し入れでき、レゴみたいに組み立て自由なウォーターブロックのユニットはどうか?

こうして2004年にパシフィコ横浜で開かれたデンタルショーのブース用につくられたのが初代ウォーターブロック。その後2007年のミラノサローネで、積み上げられたブロックに蜷川実花の「さくらん」を映写したり、MOMAのハウスデリバリー展では、その発展形として、壁だけでなく木が枝をのばすように斜めにのびていき、屋根をかけることもできるウォーターブランチを開発。さらには、内部で水を循環させることのできる実験住宅につながっていく。

こんなふうに、隈さんが実際にトライした「小さな建築」の実例が、「積む」「もたれかかる」「折る」「ふくらます」といったキーワードを軸に紹介される。

たとえば、大きなものに「もたれかかる」ことによって、やわらかで自由な形が出現する。しかし、樹木や崖のような垂直な部材がある場合はいいが、地面そのものにもたれかかろうとすると屋根裏のような窮屈な空間しかつくれない。そこでひらめいたのが、トランプでつくるカードキャッスル。フィレンツエでは、なんと石を10㎜まで薄く切り出して、石のカードキャッスルをつくってしまったのである。高岡ではアルミを使い、どんな方向にも三角形の一辺をのばしていけるジョイントをつくり、ポリゴニウムの棚や家を考案。

2枚の壁を斜めにもたせかけると、構造的には安定するが頭が壁にぶつかるような窮屈な空間になってしまう。かといってコの字を寝かせたようなトンネル状の構造は、壁と屋根の接合部に弱点ができ、倒れやすい。しかし、二枚の壁を平行ではなくちょっと斜めにずらして向かい合わせると、強さが生まれる。この平行-直角をちょっとずらし、紙でつくったハニカム構造を芯にしてFRPでくるんだ現代版韓流障子でつくったペーパーパビリオンはまるで蛇のように森の中にのびていき実に楽しい。

このほか、飛騨高山の木のおもちゃの千鳥をヒントに3本の木の棒をジョイントして木を織る技術を工夫して、2010年のGCミュージアムや太宰府のスターバックスで角材を織り込んだ空間に活かした話、タイルを2枚貼り合わせて平べったい雲のようなオブジェに仕上げた話、そして二層の膜構造の白いピーナッツのような茶室をつくった話・・・・。

どれも隈さんの巧みなゴタクでへーえ・・と思ってしまう。(もっとも、ゴタクほどにはできたものはいまいちな感じもあるんだけどね。)クライアントはこの隈哲学にナルホドと洗脳されちゃうに違いない。
c0155474_2352720.jpg
c0155474_2354083.jpg
c0155474_2355342.jpg

写真はこの本でも紹介されていた銀座のティファニーのビル。このビルの改修にあたっては、既存の外壁を壊してはならないという制約があった。そこでアルミのハニカムのパネルを108個、ビルの前面にとりつけた。特別なヒンジによって、自由な角度でコンクリートの壁と接続できるところがミソという。

目次
■はじめに──悲劇から始まる建築士
■積む
小さな単位/水のレンガ/小さな住宅―ウォーターブランチ/流れ、自立する建築
■もたれかかる
強い大地にもたれかかる/生物的建築―アルミと石の「もたれかけ」/蜂の秘密―ハニカムが生み出す空間
■織る
木を織る―「千鳥」のミュージアム/雲のような建築―タイルを織る/カサ・ベル・トゥッティ―ウラー・ドームから傘のドームへ
■ふくらます
フランクフルトのふくらむ茶室/空間を回転し、開く

by sustena | 2013-02-14 23:06 | 読んだ本のこと | Comments(10)
2011年 11月 29日

隈 研吾+清野 由美『新・ムラ論TOKYO』

c0155474_18103858.jpg建築家の隈研吾さんとライターの清野由美さんの対談『新・ムラ論TOKYO』(集英社新書 2011年7月刊)を読む。 同じコンビによる2008年の『新・都市論TOKYO』では、21世紀の東京に出現した超高層再開発の現場をめぐったが、今回は日本全国を覆っているグローバリズムという経済至上主義のシステムのプレッシャーを逃れ、新しい「ムラ」の可能性を探ろうとして、東京におけるムラ的な場所として、駅前再開発で揺れる「下北沢」、レトロでゆるくてサブカルな「高円寺」、すれ違うだけで救出される演劇的空間の広がる「秋葉原」を、そして、地方から都市を逆照射する新しいムラとして信州の「小布施」を訪れ、考察を重ねる。

隈は言う。20世紀は村が失われた世紀であったと。持ち家願望と空間の商品化によって、土地も建築も人間から切り離され、フラフラとあてどもなく漂い続ける商品となり、村が徹底的に荒廃してしまったと。

しかし、いま村を破壊するシステムそれ自体が自壊を始めた。
また、東日本を襲った3.11の津波の驚くべき破壊力を目の当たりにして、それでもなお、そこに蓄積された時間と想いは決して流し去ることはできないことを私たちは知った。だからこそ、場所というもののたくましさ、しぶとさに再度目を向け、サイト・スペシフィックな暮らしを立ち上げなくてはならない。

とはいえ、新しいムラはどうして可能か? 二人はいろいろな言葉を重ねるが、ちょっと頭でっかちすぎるよねぇぇ・・・という気がしなくもない。でも、たとえば、このラインナップに秋葉原を入れたことについて、たとえばこんなふうに語るのである。

隈 新自由主義経済のアンチテーゼとしてムラが語られる時って、どうしてもキレイごとばかりになりがちでしょう。

清野 大地の恵みとか、自然との共生とか、サスティナビリティ(持続可能性)とか、ロハスとか。

隈 でも人間の欲望は、貪欲にしても、性欲にしても、そういうキレイで前向きなことにあこがれる一方で、キレイではないこと、後ろ暗いことに、どうしようもなく向かうものでもあります。持続可能性とよく言いますが、その原理の半分は、人間のヘンタイ性の持続可能性のことだといってもいいくらいで、そのもう一つのダークな面を語らずして「ムラ論」なんかは成立しないと思うからです。(以下略)

なーんてぶち上げながらメイドカフェへ出かけて、頼んだ「みっくすじゅーちゅ」が登場し、メイドから"りす声"で魔法をかけてくださいね~とお願いされ、萌え、萌え、フリ、フリ、おいしくなあれ♡とやることに目を白黒させてるんであーる。

つまつるっと読める。

第1回 下北沢(「自由」を謳歌する路地裏に、戦後の巨大道路計画が忍び寄る ほか)
第2回 高円寺(高円寺を「ムラ」たらしめているものとは ほか)
第3回 秋葉原(アキバムラのヘンタイ性こそが日本の未来を拓く ほか)
第4回 小布施(小布施という町の「都市性」、「町並み修景事業」という頭脳パズル ほか)
c0155474_044878.jpg


by sustena | 2011-11-29 00:04 | 読んだ本のこと | Comments(0)
2011年 01月 22日

根津美術館「墨宝-常盤山文庫名品展」

西麻布から表参道に行く途中に根津美術館があって、同館が建替えたあと出かけてなかったので、そうだっ、隈研吾の建築を見なくちゃと立ち寄ったら、「墨宝-常盤山文庫名品展」という特別展をやっていた。

墨蹟はわからないぞーと思いつつ入ったら、墨蹟だけでなくて、水墨画もあったし、なかなか味のある文字がけっこう気に入っちゃったなぁ。
とくに、「巡堂」と二文字大きく描かれた、中国の禅僧無準師範から弟子の円尓弁円へ与えられた文字が好き。工芸品では、漆の犀皮の水差し「彫漆雲文水注」のフォルムがよかった。 
国宝の「鶉図」が2月1日~13日の展示のため出ていなかったのはちょっと残念だったけれど、期待しないで入ったぶん、けっこう見ごたえがあって得した気分。あと、四季の花が描かれた鍋島の磁器がけっこうモダーンなの。それと、ここの饕餮の青銅器のコレクションはいつ来てもほれぼれしちゃう。
庭園もいい気持ちだったなぁ。
そうそ、アプローチはいかにも隈研吾。
c0155474_23184685.jpg
c0155474_23185324.jpg
c0155474_231917.jpg


by sustena | 2011-01-22 23:19 | Art/Museum | Comments(0)
2008年 03月 30日

隈 研吾・清野 由美『新・都市論TOKYO』

c0155474_0325685.jpg慶応大学理工学部教授で建築家の隈研吾さんと、ジャーナリストの清野由美さんの対談『新・都市論TOKYO』(集英社新書 2008年1月22日)を読む。

汐留、丸の内、六本木ヒルズ…次々と東京に誕生する超高層ビル群。「なぜ景気が悪い時代に、東京ではバブル期以上の大規模開発が出現するのか?」そんな清野の疑問から、隈研吾と清野の二人が、都市再開発の現場を歩きながら、その風景が意味するところを読み解いていく。

目次をひこう。

   都市開発の手法を概観する
   第1回 汐留―悲しい「白鳥の歌」が響き渡る二一世紀の大再開発
   第2回 丸の内―東京の超一等地に三菱の「余裕」がどこまで肉薄するか
   第3回 六本木ヒルズ―森稔の執念が結実した東京の蜃気楼
   第4回 代官山―凶暴な熊に荒らされる運命のユートピア
   第5回 町田―「郊外」かと思っていたら「都市」だったという逆説
   対話篇 そして北京

それぞれの「現場」の冒頭では隈研吾による解説がある。たとえば、旧国鉄貨物駅跡地であった汐留。工業化社会から脱工業化社会への転換によって出現した大きな空き地を、巨大なオフィスと大規模商業施設の集積したビル群にすることがそもそも成熟の時代に必要とされるのか? しかも、汐留の場合、悲惨だったのは、31ヘクタール全体をひとまとめに開発するだけのリスクを負えるディベロッパーが見当たらず、11街区に分割され、分譲されちまい、「郊外の建て売り住宅を巨大化したよう」な風景になってしまったのだ。

そう、この本でしばしば語られるのが、現代の都市開発のプロジェクトの成り立ちである。まず重要になってくるのが、ビッグプロジェクトを遂行するに必要な資金をいかに手当するかだ。1980年代以降、プロジェクトを小口の証券に分割して投資家を募るなど、資金調達のテクノロジーが飛躍的に発達した。巨大な開発コストを回収するために、最優先されるのは、徹底したリスク管理である。このため、創造性のある芸術家ではなく、ブランドとして「顔」になる建築家が必要とされる。洗練され、きれいで華やかで安全だが、ファッションとして消費される「どこかでみたような」風景ばかり……。

現場を歩きながら、二人は、日本に「歴史軸を意識して都市をプランニングできる人材」の不在を嘆く。「日本の都市は金融テクノロジーのような抽象的な手法によって解かれるべきではなくて、その土地に根ざしたリアルで泥臭い手法で解かれるべきなんです」と隈。

彼が注目するのは北京だ。「北京はグローバリズム時代の都市のリアルな実験場です。あの光景を見ると、いかに日本人が繊細でひ弱かが実感できますね」。創造性というのは、発展途上で爆発するのだ。

歴史の継続性とクリエイティビティの2つを備えた魅力ある都市景観が今後かたちづくられていくだろうか?私たちがかつて持っていた街並みや景観に対する感受性を、もういちど鍛えていくことができるだろうか?
c0155474_0323564.jpg

六本木ヒルズか新丸ビルの写真を入れようとして、これまでGRDIIで撮った4か月ぶんの写真のファイルを外付けハードディスクにコピーし損ねて、まるまるなくしてしまったことが判明し、しばしボーゼン。キャビネに焼くためにセレクトする時間がなくて、でもパソコンの空き容量を圧迫していたので、とりあえず移動させたはずだったが……。なんだか、これまでのワクワクを全部なくしちゃった感じ。

追伸 隈研吾さんは以前インタビューしたことがある。そのときの記事はここ→

by sustena | 2008-03-30 00:33 | 読んだ本のこと | Comments(2)