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2012年 11月 15日

最強のふたり

最強のふたり_c0155474_1521835.jpg予告編を見たときは、ぴんとこなかったのだが、評判が良いというので出かけたのが「最強のふたり」(原題 Intouchables 2011年 フランス)

パラグライダーの事故で首から下が麻痺してしまった大富豪のフィリップ(フランソワ・クリュゼ)が介護役に選んだのは、スラム育ちで刑務所から出たばかり、失業保険がほしいばかりに面接にやってきた黒人青年のドリス(オマール・シー)だった。

遠慮容赦のないドリスの言動が、腫れ物に触れるように障害者として扱われてきたフィリップにはことのほか嬉しかったのだ。社会的立場も、育ってきた環境もまるで違う二人が、共感しあい、二人の世界が広がっていく様子は、あっけらかんとしていて、テンポがよくて、とっても気持ちいい。
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# by sustena | 2012-11-15 15:21 | Theatre/Cinema | Comments(0)
2012年 11月 13日

仁左衛門と玉三郎の美しさにホレボレ──籠釣瓶

先日、シネマ歌舞伎で『籠釣瓶花街酔醒』を観た。2010年2月に歌舞伎座のさよなら公演で、中村勘三郎が次郎左衛門を、玉三郎が八ツ橋、そして仁左衛門が情夫の栄之丞を演じたもの。
去年の5月に吉右衛門と福助のコンビで観たものとはまた違った味わいである。

これは、オーソドックスに、吉原での花魁道中での見染めからスタートする。玉三郎の美しさに、田舎者の佐野次郎左衛門はすっかり見入られてしまい、江戸に来るたびに吉原通い。あばたづらだけど性格のいい佐野次郎左衛門に、とんとんと身請けの話が進んでいく。
八ツ橋の保証人の釣鐘権八は、立花屋を通じて次郎左衛門に金の無心を繰り返していた。しかしあまりにたびたびすぎると立花屋に断られると、権八は腹いせに、八ツ橋の間夫の栄之丞に八ツ橋の身請け話を知らせにいく。俺という男がありながら・・・と次郎左衛門を袖にしろと迫る栄之丞に従い、八ツ橋は次郎左衛門に、「もともとあんたなんてだーいキライッ、一緒にいるだけで、気持ち悪くなるぅー」と愛想尽かし。この場面と、それに続く「そりゃあんまり袖なかろうぜ」の次郎左衛門セリフは実に泣かせる。

それもこれも仁左衛門のかっこよさがあればこそであります。玉三郎と二人の場面はうっとりー。魁春の九重(ナンバー2の花魁ね)も情があってよかった。
(でも、最後の「籠釣瓶は、よく斬れるなあ」というところ、この籠釣瓶が妖刀であることを知らないと、ちょっとよくわからないかも)

来月は演舞場で菊之助の八ツ橋。これまた楽しみー。
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佐野次郎左衛門:中村勘三郎
八ツ橋:坂東玉三郎
九重:中村魁春
治六:中村勘九郎
七越:中村七之助
初菊:中村鶴松
白倉屋万八:市村家橘
絹商人丈助:片岡亀蔵
絹商人丹兵衛:片岡市蔵
釣鐘権八:坂東彌十郎
おきつ:片岡秀太郎
立花屋長兵衛:片岡我當
繁山栄之丞:片岡仁左衛門

# by sustena | 2012-11-13 22:09 | Theatre/Cinema | Comments(6)
2012年 11月 12日

公園でのイベント その2

11日は近くの公園のアートイベントで3つのプログラムがありました。
一つはサウンドスケープ研究家の鳥越けい子さんと、声楽家の辻康介さんによる「池の畔の遊歩音楽会」。今年で3回目で、今回は戦時中にこの地域で自然観察をして人生を愉しんだ尾崎喜八という詩人にスポットを当て。当時のくらしと自然を思い起こしつつ、辻さんの歌と鳥たちの声や木々を揺する風の音に耳を澄ませました。今回はパーカッションの立岩潤三さんも加わって、音が立体的に広がっていった感じ。
公園でのイベント その2_c0155474_23523410.jpg

続いて、ぜんぷくトリヲのパフォーマンス。アートツアーの途中途中で、アート作品の前でマイムを。いつもながらの生への賛歌です。
公園でのイベント その2_c0155474_23525261.jpg

最後は大坪光路さんの舞踏公演。途中から雨足が強くなってきたのですが、みなその場で釘付けに。圧倒的な存在感でした。ぬいぐるみまで舞踏してたなぁ。
公園でのイベント その2_c0155474_2353125.jpg


# by sustena | 2012-11-12 23:53 | Art/Museum | Comments(4)
2012年 11月 12日

パトリック・ネス『怪物はささやく』

パトリック・ネス『怪物はささやく』_c0155474_1752662.jpg知人に勧められて『怪物はささやく』(原題 A Monster Calls パトリック・ネス/著 シヴォーン・ダウド/原案 ジム・ケイ/イラスト 池田真紀子/訳 2011年11月刊 あすなろ書房)を読んだ。

母の死と向かい合う少年の揺れ動く心を描いたイギリスの児童書で、2012年カーネギー賞とケイト・グリーナウェイ賞をダブル受賞した作品。早世した作家シヴォーン・ダウドの原案を、パトリック・ネスが物語とした。

主人公コナー・オマリーは13歳の少年。両親は離婚しており、母親と2人で小さな家に暮らしている。その母親が去年の春、深刻なガンにかかっていることがわかった。近所の少女が学校で少年の母の病気のことを告げると、周囲のみんなが腫れ物に触るようにコナーに接するようになる。じぶんだけが悲劇の主人公のつもりになって、といじめにもあう。そのことが彼の孤独感を一層深める。
ある夜、庭のイチイの木の姿をした怪物がコナーのもとにやってくる。怪物はコナーに、3つの話をするから、それを聞き終わったら今度はコナーが怪物に真実の話をするよう語りかける。怪物がやってきた理由とは? そしてコナーはどんな話を怪物にすることになるのか。

感受性がニブイのか、知人が絶賛するほどとは思わなかったけど(死を扱った絵本や児童書としてはふつーかなー)、少年よりお母さんとかおばあちゃんのほうに感情移入しちゃったのは、私がトシをとってしまったからであろうか。

少年は怪物のことは怖くない。なぜってもっとこわい悪夢を見るから。それを物語として語ることで、初めて少年は自分に向き合い、死を受容できるようになる。

人の心は矛盾に満ちたもの。そして物語はこの世の何よりも凶暴な生き物。怪物がコナーに言い聞かせるこの2つの言葉が印象的だった。

エンディングはちょびっと切ない。
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# by sustena | 2012-11-12 23:51 | 読んだ本のこと | Comments(4)
2012年 11月 08日

木下直之『股間若衆―男の裸は芸術か』

木下直之『股間若衆―男の裸は芸術か』_c0155474_23573185.jpg息子に、図書館で予約した本を借りてくるよう頼んだら、帰ってくるなり「ビックリしたー。アセッたー。どーして先に教えておいてくれないのっ!」とプリプリ。

タイトルが『股間若衆』だったのである。
目次を開くと、さらに、これでもかという章見出しが続く。
第1章 股間若衆
第2章 新股間若衆
第3章 股間漏洩集―こぼれ落ちた問題の数々

そして冒頭の見出しがいきなり「曖昧模っ糊り」である。いったい、なんなんだー、と思うのも無理はないかもしれない。

奇をてらったフシがないではないが、内容は、副題にもある通り、明治以降の日本人の彫刻家、美術家、写真家などによる男性の裸体と股間の表現をたどったもの。

第1章と第2章は「劇術新潮」に掲載され、第3章と付録の股間巡礼(股間若衆の予備軍 小便小僧に会いに行く/生息地探索/股間もいろいろ/考える人たち/モデルコース1―西武池袋線沿線をゆく/モデルコース2―城下町金沢になごむ)は書き下ろしである。

なんといっても、出色なのが第1章。何事も、おお、これは!と興味を抱いた発端が、いろんな発見に満ちているのは当然。

著者の木下さんは、赤羽駅前の「未来への讃歌」と題された川崎普照のふたりの青年像の彫刻を目にし、「あるべきものがあるようでない・(略)・・強いてあげれば、バレーダンサーの股間に近い・・(略)・」「いったいどこからこんな曖昧模糊とした股間表現が生まれてきたのか知りたいと思った」
そして、いろいろな町の裸の若者をめざして、股間狩猟に励むのである。

重力に逆らってピッタリと木の葉が某所に止まっているものもあるし、腰巻きやフンドシでビミョーに隠してあるものもある。それにしても、男性彫刻の股間部分ばかりを探究し、ついでにトリミングして比較してみるなんぞ、これまで誰がやったろうか?

その木下直之さんは1954年生まれ。東京藝術大学大学院中退後、兵庫県立近代美術館・東京大学総合研究博物館を経て、東京大学文化資源学研究室教授。美術・写真・見世物・祭礼・記念碑・建築・博物館・動物園・戦争などを通して19世紀日本の文化を考えてきたひと。『美術という見世物―油絵茶屋の時代』でサントリー学芸賞、『写真画論―写真と絵画の結婚』で重森弘淹写真評論賞と、実績を残しておられるセンセイであります。

この本を読みながら、何度なるほどーとつぶやいたかわかりませぬ。
木下直之『股間若衆―男の裸は芸術か』_c0155474_21324824.jpg

ところで、逆光でぼわっとしてるからよくワカラナイけど、この銅像は、長崎市の「平和祈念像」で有名な北村西望の「燈臺」。上半身裸で、兜を被った青年が火を捧げて獅子をしたがえすっくと立っているます。数寄屋橋の交番裏にあるこの像は、朝日新聞が寄付を募って、関東大震災10周年記念塔として建てられたもの。トーゼンかどうかは存じませんが、下半身は露出してないのでした。

# by sustena | 2012-11-08 21:39 | 読んだ本のこと | Comments(6)