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2008年 10月 23日 ( 2 )


2008年 10月 23日

石原慎太郎『痛ましき十代』

c0155474_013610.jpg会社からの帰りみち、アルマーニの前を通ると、マネキンの後ろにデッサンが。あれ、なんだかスーツと似合わないぞ、と思って近寄ると、「痛ましき十代」。石原慎太郎十代作品展、とある。

えっ、アノ石原慎太郎?と一瞬驚くけれど、そういえば息子は画家だったし、十数年前に教育をテーマに対談を依頼したときも、なんだかそんなことを言ってたっけ、と思い当たる。

で、思い切ってドアをあける。

会場はアルマーニ銀座タワーの9階のイベントスペースである。エレベーターの前にも、モノモノしく、ガードマンやら、お店のひとが待ち構えていて、なんだか場違いな感じ。でもずんずん進む。

さてさて、先入観を取っ払って見ると、いやはやなかなかおもしろかった。

十代というのは、自分の過去を思い出してみても、顔から火が出るくらい気恥ずかしい。自意識のカタマリで、何モノかになれるだろうかという不安と、でも自分というものをたしかな存在であると信じたくて必死で、それがこのトシになってみると、なんだか、いとおしいような気もする。

平凡な田舎の高校生だった私だってそうなのだから、人一倍過剰な自意識とがっぷり四つになっていただろう石原慎太郎が、15~17歳の間に、どんなことを思い描いたか。ボンヤリな私にも、かすかに想像はつく。

70枚ぐらいのエスキースが並ぶ。タイトルのあるもの、ないもの。自画像も何枚もあるし、キリコやマグリッドやデュシャンなどに影響を受けたかと思わせるものもある。
「書けない詩人」と題された1枚は、くみあわされた手の指1本1本に鋲がささり、首から上はなく、そこにバラが何本か咲いていた。

「非業な太陽」という詩は、まさに十代。

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渺茫
空は 無惨な夕焼けだ
あふれた臓腑のひったぎり 煮えくりかえった夕焼けだ

消えた月日の暦とともに やっと終わった馬鹿騒ぎ(カーニバル)の
歌と 仮面と 饒舌(ざれごと)を
砂へ この手で埋めるのだ

今は 落日の歌さえかしましい
俺はとっくに倦きたんだ
鳥は鳴かずに還っていい
紅くただれたこの憂愁
ただそれだけに眼を据えよう

見ろ
陽が沈む 陽は沈む
ギンギンギラギラ 陽が沈む

遺ったものはなにもない
砂はとっくに冷えきった
全体 何が蘇ろう――
ひしゃげた「原理」も「真理」もない
いじけて惨めな乳くりあい
三月で流れた胎児(がき)だけだ

ああ 狂猥の蜃気楼
それも 今では消えるがいい
襤褸(ぼろ)と 腐肉と 泥酔と
出来損ないの芸術か
慈善は 架刑でほどこそう

待っていろ
俺の心よ 待っていろ

ああ なぜ太陽を惜しむのか
喪に高々と黒い帆で
荷揚げの人夫(ひと)も クレーンもない
胸(こころ)に還る入り船を
俺の心よ 待っていろ 
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十代の石原の写真もあった。
たしかに昔はカッコよかった。

エレベーターの中でぱちり。
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by sustena | 2008-10-23 00:31 | Art/Museum | Comments(6)
2008年 10月 23日

猫デアル

日比谷線の銀座駅。改札に向かってとことこっと階段をのぼろうとして、眼の端っこでとらえた写真が。あっ、ネコだ!見れば、クロネコヤマトの「宅配は、ネコである。」シリーズ。
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三越から三愛ビル付近の地下通路の円柱にも、この広告が何枚も。写真のバリエーションがいろいろあって、いったい何種類あるんだろう? あちこちチェックしてみる。なんたって、この尻尾が好き!
c0155474_023960.jpg

最近はあの手この手でいろいろな場所が広告スペースとなる。巨大なシートの印刷技術のおかげだな。

by sustena | 2008-10-23 00:04 | 看板・サイン・ポスター | Comments(2)