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2008年 02月 23日

第162回文楽公演・第二部

国立劇場小劇場で、文楽を観る。
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演目は、「二人禿」、ひばり山姫捨松より「中将姫雪責の段」、壺坂観音霊験記より、「土佐町松原の段」「沢市内の段」「山の段」。

中将姫雪責の段は、千手観音紛失の罪を継子の中将姫になすりつけようと、雪の庭で岩根御前が姫を割竹で責める。ほんとは岩根が盗んだことを中将姫は知っているのだけれど、責め殺されても、決してそのことは明かそうとしない。この切場を担当する嶋大夫がすばらしい。悪役の岩根御前は憎々しさと同時に、品位がなくてはいけないし、一方、中将姫は、息もたえだえのなか、継母をかばう清楚なけなげさが必要だから。

  あら労(いたは)しの中将姫
  七日七夜は泣き明かし明くる八日の浅の雪、我を責苦の種となり
  身も冷え返るその上に、素足に雪の氷道剣を踏むが如くにて淀めば
  「往け」
  と打ち叩く
  梢の雪がひと積もり、背に打ち掛かればどうと伏し、起きれば叩く割竹に
  手足も痺れ身も縮み、命も息も絶え/\にて
  「赦させ給へ、母様」
  と、声も惜しまず泣き給ふ

文雀の中将姫も、責められながらも凛として耐えるところが、ぐぐっとくる。

壺坂観音霊験記は、目の見えない夫とその妻の夫婦の情愛を描いた作品。お里(簑助)は盲目の夫、沢市(勘十郎)を献身的に介護し、回復を祈って壺坂寺に毎晩お参りを続ける。妻が夜ごとに抜け出すのを、情夫がいるのではと問いただす沢市に、お里は、一心に夫に尽くしてきたのに・・と涙ながらに訴える(ここの切り場語りは住大夫)。疑いが晴れて二人で壺坂寺へ行くことになる。沢市はここで3日間断食するからと、お里に家の用事を片づけてくるように言う。お里が帰ったあと、自分いないほうがお里が幸せになれると、沢市は身投げをしてしまう。胸騒ぎがしたお里が戻ってくると、夫がいない。谷底に夫が!杖がないと、あの世でも目が見えず困るだろうと、夫のあとを追い、杖を手に谷に身を投げる。あわれに思った観音様が、お里の日ごろの信心に応えて、沢市の目を治してやり、二人は生き返るのでありました。メデタシメデタシ。

伊達大夫が休演で、かわって山の段を千歳大夫が語る。千歳大夫は、中将姫雪責の段でも、前半を語っているから、この回二度目の登場。声が枯れないのかしら・・。
千歳大夫がうまいのは知っていたけど、あらためて、こんなお里のまろやかな、かろやかな声を出せるなんて、とちょっとびっくり。
簑助は登場するだけで、人形が艶っぽくみずみずしさを帯びる。勘十郎も、目が見えないときのネクラでイジイジした沢市と、ご加護で目が明いたときの、青年に戻ったようなイキイキした感じがくっきりしていて、どんどんうまくなるなぁ、と見飽きない。

もっとも、この壺坂霊験記、明治12年初演の浄瑠璃できわめてわかりやすいけど、深みがいまいちなような気もする。といっても、実は○○だった、なんて話が多すぎても、ついていけないんだけど。

この日、国立劇場前の梅が五分咲きぐらい。何人もケータイやデジカメで写真を撮っていた。私も記念に一枚ぱちり。
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by sustena | 2008-02-23 23:53 | Theatre/Cinema | Comments(0)


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