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2018年 07月 10日

アタテュルク廟にて---------#トルコツアー12

アンカラでまず訪れたのが、トルコ共和国建国の父・ムスタファ・ケマル・アタテュルクの廟=「アタテュルク廟」である。アンカラ市内を望む丘陵に建設されていて、トルコ国内で産出した石材だけを使っているとか。完成は1953年9月。中には石棺がおかれているが、アタテュルクが埋葬されているのはその下という。
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第一次大戦中、トルコを植民地にしようと、オスマン帝国の首都イスタンブール占領を目指して進軍する英仏連合軍に対して、ムスタファ・ケマルは祖国解放戦争を開始。連合軍がダーダネルス海峡の西側のチャナッカレから上陸を図ったガリポリの戦い(チャナッカレの戦い)で勝利。次いで、アナトリアへ侵入したギリシア軍をサカルヤ河畔で破り、1923年10月にトルコ共和国を建国。初代大統領となった。

治外法権の撤廃、カリフ制の廃止、民法の改正、太陽暦、メートル法の採用、民族教育の普及、国家資本主義に基づく経済建設などさまざまな改革を行ったが、アラビア文字の廃止とアルファベットをもとにしたトルコ文字の制定もとても重要だったと思う。また、1934年12月には、トルコ人女性の選挙権と被選挙権を承認(当時、国会議員選挙での選挙権と被選挙権を獲得していた国は28か国で、実際にその権利が行使されていた国は17か国にすぎなかったとのこと)。翌35年2月の選挙では女性は18議席を獲得したという。日本よりずっとススんでいたのだ!

アタテュルクとは「アタ=父」、「テュルク=トルコ」で「トルコ人の父」を意味し、国民議会によって贈られた姓だという。

アタテュルク廟は石棺のほか、博物館もあって、アタテュルクが革命軍を率いて勝利したチャナッカレの戦いやサカルヤ川の戦いの様子を再現したジオラマ、トルコ共和国建国の歴史とアタテュルクの断行した数々の政策の説明、アタテュルクの蔵書(ものすごい量と質!)などが展示されていた。

ガイドさんからは、トルコは自分たちの手で、列強諸国と渡り合って独立を獲得したわけで、今も欧米+ロシアの干渉に苦しめられている他のアラブ諸国とは違うのだ!とたびたびコメントがあったけど、ナルホド、子供たちも大勢訪れて、民族の誇りを実感する場所なんだね。、
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タイミングよく衛兵の交代も見ることができた。
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by sustena | 2018-07-10 10:40 | | Comments(2)
Commented by Cakeater at 2018-07-10 22:44 x
よその国のことだから、どうでもいいんだけど、ケマル主義というか、ケマル狂信主義みたいなところは嫌だなあ。まあ、第一次大戦の選択ミスを教訓に、第二次大戦で中立策をとったあたりは、彼の性格をよく反映してると思う。
でも、このオスマントルコの旧領域の歴史は血なまぐさくてすきじゃないです。ヨーロッパ中世史の血なまぐささが、ひょっとすると今も続いているようで。
Commented by sustena at 2018-07-16 16:44
イスラム教は偶像崇拝を禁じているけど、ちょっと神格化が進んでいる感じもありますね。でもあそこで列強に分割されるのを手をこまねいていたら、今頃どうなっていただろう。。
図書館の蔵書などを見ると、どこかの国の知性のない人とは大違いだったような・・


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