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2012年 01月 29日

宮本亜門演出『金閣寺』

宮本亜門演出『金閣寺』_c0155474_21525937.jpg高校時代の友人のKちゃんからメール。なんと「金閣寺」の招待券があるから見ないかというのである。うれぴー♪ 宮本亜門が芸術監督を務めるKAAT 神奈川芸術劇場の杮落としに上演されたとき、行きたいけどKAATは遠いよねぇ・・とあきらめた芝居だったけど、2011年7月にニューヨーク公演を行い、その凱旋公演として赤坂ACTシアターで再演されることになったのだ。その初日の切符であります。

原作は三島由紀夫の「金閣寺」である。1950年7月の金閣寺放火事件をもとに、三島らしい美と青春の屈折と孤独、苦悩を描いたもの。丹後の貧しい寺の子の溝口(森田剛)は、生来の吃音から、内向的でだれともうまくコミュニケーションをとることができず疎外感に悩まされている。金閣寺を何より美しいとあがめる父親の遺志にしたがい、金閣寺の徒弟となった溝口は、そこで吃音をまったく気にせず、さわやかな明るさで照らしてくれる鶴川(大東俊介)と出合う。しかし、ある日寺にやってきた米兵と娼婦の案内をしたとき、娼婦を足蹴にした事件をきっかけに、鶴川と少しずつ溝が広がっていく。

住職の勧めで大谷大学で学ぶことになった溝口は、内翻足の障害を抱えながら、障害を武器に女を籠絡する柏木(高岡蒼甫)に惹かれていく。柏木は露悪的な毒舌で溝口の心にズカズカ入り込んでいく。そんな溝口を鶴川は気にかけるが、溝口は所詮鶴川とは住む世界が違うと言い放ち、それが彼との永遠の別れになってしまう。親友をなくし、柏木のようにも生きられない溝口は、さらに自分のうちに閉じこもってしまう。自分の内界と外界の間のさびついた扉を開け放つために選んだ道が、火を放つことだった・・・。

舞台化にあたっては、溝口が金閣寺を放火に至る心の過程がいかに描かれるか、文章であれば読者に委ねられる金閣の完璧な美を溝口がどのように感じていたか、それを観客にどう伝えるかが、カンドコロであります。

演出の宮本亜門は、映像と、大駱駝艦の身体表現、金閣寺の美の具現化である鳳凰を演じる山川冬樹
のホーメイを取り入れ、重層的に表現していた。(私はちょっとあの鳳凰が怖かったな・・)

客席に着くと、すでに舞台には私服の俳優たちが思い思いの場所にたたずんでいる。そこは教室で、黒板、机が置いてあるがらーんとした空間。そこで、読み合わせが始まるのだ。それがいつの間にか小説の中に入り込んでいく。

照明がよかったなぁ。美術も、同じ教室のまま、屏風一枚それと伊藤ちひろさんの台本がたぶん効いている。伊藤さんは、私の大好きだった「スカイ・クロラ」の脚本を担当した人。

客席は森田のファンでいっぱい。最後のカーテン・コールはファントしてはもう一度森田のかををみたいかもしれないけれども、せっかくの構成の妙がちょっとそがれてしまったよ。

原作 三島由紀夫
演出 宮本亜門
原作翻案 セルジュ・ラモット
台本 伊藤ちひろ・宮本亜門
振付 小野寺修二
照明 沢田祐二
美術 ペリス・クドゥルチカ

溝口/森田剛 
柏木/高岡蒼甫 
鶴川/大東俊介
道詮和尚/瑳川哲朗
寺の副司/花王おさむ
父・父の友の禅海和尚/高橋長英 
母/大西多摩恵
有為子/中越典子 
鳳凰/山川冬樹
大駱駝艦(田村一行 湯山大一郎 若羽幸平、橋本まつり 小田直哉 加藤貴宏)
岡田あがさ 三輪ひとみ
宮本亜門演出『金閣寺』_c0155474_21353591.jpg


by sustena | 2012-01-29 22:49 | Theatre/Cinema | Comments(0)


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