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2011年 01月 31日

リディア・アヴィーロワ『チェーホフとの恋』

リディア・アヴィーロワ『チェーホフとの恋』_c0155474_23174073.jpg図書館の新着図書コーナーにおいてあったリディア・アレクセーエヴナ・アヴィーロワ著『チェーホフとの恋』(原書名:А.П.ЧЕХОВ В МОЕЙ ЖИЗНИ:Чехов в воспоминаниях современников(Авилова,Л.А.小野 俊一/訳 ワルワラ・ブブノワ/イラスト 小野 有五/解説  未知谷/発行 2005年5月刊) の表紙に惹かれて読み始めた。

著者のリディア・アヴィーロワは1864年生まれの女流作家。結婚して子どももいたが、1889年の冬にチェーホフと出会い、3年後に再会し、秘密の文通を始める。

この本のカバーの惹句には

1889年の出会いから1899年の別離まで10年間のプラトニックな愛憎劇。家庭人でもある女流作家が手紙と回想で綴る濃密な恋。44年の障害で唯一真剣と言われるチェーホフ、もう一つの真実

とある。

しかし、この本で語られるのは、燃え上がるような恋ではない。
リディアは、チェーホフの才能に憧れ、彼を好もしく思い、自分のほうを向いてくれたらどんなにうれしいことかと、たまの逢瀬(というより会話)に有頂天になりながらも、夫と子どもの存在を常に意識している、妻であり、母としての存在から離れることができない。一方のチェーホフも、二度目に会ったときに「あなたにはこんな気がしませんでしたか? 三年前にお会いした時に? 僕たちは単に初めて識り合ったというのではなくて、なんだかこう長いこと別れていたものがとうとう互いにまためぐり合ったというような」「こういう感じというものはただ二人の間だけに起こり得るんです。僕は生まれて初めてそれを体験したので、忘れることができなかったんです」なんてことをしゃあしゃあというものの、ある一線を超えて、関係を深めていくかというと、どうもどっちつかずの感じなのである。
なので、ドラマだったら、ここで二人が結ばれるのに・・・なんて場面でも、すれ違い、ボタンの掛け違いがおこってしまう。

人生というのは、こういうふうな笑えない喜劇ではあるのだ。

興味深かったのは、巻末に収録されていた、訳者の小野俊一氏の息子である小野有五さんが綴った、俊一氏と彼の妻、小野アンナ、この本の挿絵を描いたアンナの姉のブブノワについての話。この一家の評伝があったら読んでみたいなぁ。
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by sustena | 2011-01-31 23:23 | 読んだ本のこと | Comments(2)
Commented by Lucian at 2011-02-01 20:29 x
恋は本質的にプロセスの美学かもしれないですね。
結ばれるという仮想未来から、現在・過去に向かって逆流する時間の中を泳ぎ続けるプロセスに自己の存在理由を見出す。
そして時の流れが過去から未来に戻った時、恋も終わる。
Commented by sustena at 2011-02-02 00:53
仮想未来かぁ・・・。仮想未来を冷静に分析するタイプは、恋とは縁がないかもしれませんね。チェーホフは、相手が本気になると逃げちゃう煮え切らないヤツなんですね。このリディアのことも、ぼくのかわいいお母さんって感じで呼んでいたらしい。


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