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2009年 01月 12日

ファティ・アキン監督『そして、私たちは愛に帰る』

シネスイッチ銀座で、『そして、私たちは愛に帰る』を見た。(原題 AUF DER ANDEREN SEITE(on the other sideという意味) 英語タイトルはTHE EDGE OF HEAVEN  ドイツ・トルコ 2007年 2007年カンヌ国際映画祭/最優秀脚本賞・全キリスト協会賞)

監督・脚本は、『愛より強く』のファティ・アキン監督。これは、愛する者との出会いと死と別れ、そして許しとをドイツとトルコの2つの国を行き来しながら、綴った映画だ。

3組の家族が登場する。

ドイツ、ハンブルグの大学で教鞭をとるネジャッド(バーキ・ダヴラク)の父・アリ(トゥンジェル・クルティズ)は、トルコからの移民で早くに妻をなくし、男手ひとつで息子を育て上げてきた。馴染みになった娼婦イェテル(ヌルセル・キョセ)に、毎月の稼ぎの分を出すから、一緒にブレーメンで暮らしてほしいと頼む。

イェテルはトルコから出稼ぎにやってきた。トルコの大学で学ぶ、娘のアイテン(ヌルギュル・イェシルチャイ)に、娼婦で生計を立てていることを隠し、靴屋で働いていると仕送りを続けているが、娘と連絡がとれなくなったことを嘆いている。

あるとき、ささいないさかいから、アリはイェテルを殴りつけてしまい、倒れたイェテルは頭を打って亡くなってしまう。アリは刑務所に。イスタンブールに渡ったネジャッドは、イェテルの娘、アイテンを探すために、ドイツ語専門書店を買い取りトルコにとどまることを決意する。しかし、実は娘は、トルコで反政府活動を行い、弾圧を逃れてドイツに渡ってきていたのだ。

昼食代にも事欠くアイテンは、ハンブルグの大学(ネジャッドの務める大学だ!)で、ドイツ人学生のロッテ(パトリシア・ジオクロースカ)に昼食代を借りたことから、彼女と親しくなる。家につれてきて何くれとなく世話を焼くロッテに母親のスザンヌ(ハンナ・シグラ)は快く思わない。結局アイテンは、偽造パスポートがばれて、トルコに強制送還になり投獄されてしまう。アイテンを救おうと、ロッテは単身・イスタンブールに渡るが・・・・。

登場人物は、偶然の糸がからまり、出会えそうで、すれ違ってしまう。 アイテンは母親に会えないし、ネジャッドに部屋を借りるロッテは、ネジャッドがアイテンを探していることに気づかない・・・。私たちもまた、異邦人の目で、イスタンブールを探し求めるのだ。

スザンヌ役のハンナ・シグラがすばらしい。『マリア・ブラウンの結婚』では、あんなにきれいで美しくてスマートだったのに(いま制作年をチェックしたら30年前だった。自分ではトシをとっていないつもりなのに……)、ここでは、初老でガンコな母親である。娘が大学の勉強もおろそかに、アイテンの救出に入れ込んでいくことに反対し、娘の死に半狂乱になるが、娘の遺志を継いでアイテンを刑務所に訪ね、抱擁する。その深い悲しみと娘の死を受け入れた静かな表情。

スザンヌとネジャッドが犠牲祭について交わした会話が忘れがたい。犠牲祭とは、イスラムの巡礼月の第10日に行われる行事で、神から愛する息子を犠牲にささげよと命令されたイブラヒームが、神の教えに従うことを決め、息子を殺そうとしたとき、アラーがイスラーヒムの信仰心をたたえ、息子のかわりに小羊を生贄にした故事に由来するお祭りだが、ネジャッドは小さいころこの話がこわくて、父のアリに「お父さんだったらどうする?」と訊ねたのだという。アリが言ったのは「神をも敵にまわす」ということ。

最後の場面、ネジャッドが父をじっと待つ海岸のシーンは、天国の片隅から寄せる波のようにも思えるのだった。
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by sustena | 2009-01-12 01:39 | Theatre/Cinema | Comments(2)
Commented by nuts-co at 2009-01-12 22:26 x
「神をも敵にまわす」。信仰をもった中で、父親にこんなことを言われたら一生忘れないだろう。大江健三郎が子どもの頃「ハックルベリー・フィンの冒険」の中の、「じゃあ、よろしい、僕は地獄へ行こう」ということばに深く掴まれたことを思い出します。
Commented by sustena at 2009-01-12 23:56
この会話がきっかけで、息子は愛人を殺してしまった父親に愛に出かけるのね。宗教のことはわからないけれど、愛についてなら、共感できるかなぁ。


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