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2008年 11月 02日

東野圭吾『手紙』

c0155474_22397.jpg「秘密」という映画を見て以来、東野圭吾にハマっている息子が、「チョーやばい!チョー感動した!! ものすごく考えさせられた」といって、私に『手紙』を読めといってきかない。

東野圭吾といえば、ごく初期の2~3冊は読んだが、ストーリーテラーだという印象を持った程度で、ずっとごぶさただったのだが、このところのモテモテぶり、すごいよね。毎日、読んだ?いつ読むの?とうるさいので、文春文庫を借りてきて読んでみた。

タイトルしか知らず、ロマンチックな話かなー、ぐらいに思っていたら、大違い。ひゃー。めちゃくちゃ重いやんけ。

主人公・武島直貴の兄・剛志は、弟の大学進学費用ほしさに資産家の老女の家に盗みに入り、見つかって老女を殺してしまう。
直貴は、苦労して大学に進むが、「殺人者の弟」というだけで、自分にはまったく何の罪もないのに、好きな音楽の道も、恋愛も、就職も、幸せをつかみかけたかと思ったとたん、するりと掌から逃げていく。そんな直貴のもとに、兄から月に一度手紙が届くのだ……。

ひょっとしたら運が向いてきて、という話になってくれないかなぁ、そんな安易な男波だちょうだいにはあないだろうなぁ、やっぱりダメなんだろうなぁ……と胸が締めつけられる思いで読み進む。兄のことを隠して、無事、家電量販店に就職できたときも、ああ、もうじきバレるなぁと、辛い不安な気持ちのままページを繰ると、案の定、盗難事件の発生によって、配置転換されてしまう。

理不尽だ、と思う一方で、もし、まわりに直貴のような人物がいたとして、私はまっさらな気持ちでつきあえるか? どれだけ頭でわかっていても、きっと、直貴を忌避したみんなと似たりよったりの行動をとるに違いない……。

主人公の勤め先の社長の言葉が意味深である(賛成はできないけれど)。

売り場から配置換えされた直貴に向かって、差別されるのは当然なのだ。会社にとって重要なのは、その人の「人間性」ではなく「社会性」であって、身内が殺人者だということは、家族にも「社会的な死」をもたらす。社会性を回復するためには、他の人間とのつながりの糸を一本ずつふやすしかない、という意味のことを言う。

その言葉をきっかけに、直貴は妻とともに、「殺人者の弟」という事実から逃げずに真摯に向き合おうとするが、やはり次第に目に見えないバリアーが広がっていき、娘まで差別の対象となる。

それに対して社長は次のような意味のことを言うのだ。「正直にやっていれば、差別されながらも未来は拓けてくると考えたかもしれないが、それはやはり甘えである」と。自分たちは楽になるかもしれないが、周囲に心理的な負担を与えるではないか。答えは自分で見つけよ、と突き放す。

いったい、どう終わらせようというのだ? ページ数が残りわずかになっても、エンディングが見えてこない。解決策が見出せない。ラストシーン、直貴がイマジンを歌おうとして声が出ない場面で、読み手の私も、ああ、とつぶやくだけだった。

うまいけど、考えさせるけど、やっぱり、この話好きじゃないなぁ。

井上夢人の解説を読んで、ナルホド、作家はやはりうまいことを言うと思ったね。自分が写し出される鏡みたいな小説だと。

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by sustena | 2008-11-02 13:17 | 読んだ本のこと | Comments(0)


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