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2026年 04月 19日
ホアンキエム湖です。湖の中心には、黎朝の初代皇帝に剣を返還した大亀の伝説にまつわる「亀の塔」があり、島につながる赤い「棲旭橋(フク橋)」がある、 ハノイに到着した日は、近場を中心に回ることにした。 ホテルは旧市街に位置しており、そこから5分ほどでホアンキエム湖に着く。 湖の中心には、黎朝の初代皇帝に剣を返還した大亀の伝説にまつわる「亀の塔」があり、島につながる赤い「棲旭橋(フク橋)」が見えた。 この日は周辺が歩行者天国になっていて、何やらロードレースっぽいものが行われていて、マーチングバンドも。 ![]() ![]() ![]() ![]() ハノイ国家大学のメインホールではちょうど結婚式の写真を撮影していた。 上の写真は、1945年のベトナム独立運動期に発行された機関紙。左はベトナム独立同盟(ベトミン)が発行する救国新聞 (Báo "Cứu Quốc")1945年 春季号。 右は、ベトナム民主党が発行する独立新聞 (Báo "Độc Lập") 1945年5月10日(第16号)、昔は漢字だったから、どくりつ=ドクラップ。 ここで、ホー・チ・ミンやベトナム共産党の歴史などを頭に入れたあとに、ハノイ大教会を経て、ホー・チ・ミン廟へ。 ![]() ![]() 左上: 1911年6月、グエン・タット・タイン(ホー・チ・ミンの本名)がフランスへ向かうために乗った船の出発地、ニャー・ロン埠頭の様子。 その右: 1920年、フランス社会党大会で演説するグエン・アイ・クォック(独立運動に身を投じたときに阮愛國として署名)。彼はこの大会でフランス共産党の創立メンバーとなった。 左下: 1913年頃、ロンドンでコックとして働いていた頃のグエン・アイ・クォック。 その右: フランス共産党大会の参加者たちとの集合写真。 ホー・チ・ミンの家。1958年から1969年までホー・チ・ミンが実際に生活し、執務を行ったベトナム北部の少数民族の伝統的な建築様式である高床式の建物。1階部分は会議に用いられ、2階部分は約10平方メートルほどの寝室と書斎になっている。 近代建築めぐりの最後は、外務省本部ビル。建築家エルネスト・エブラールにより設計され1925年に着工、1928年に完成したフランス植民地時代を代表する建築物の一つ。伝統的な東洋の建築様式を取り入れたデザインで、ベトナムで唯一「100の屋根を持つ建物」と称されているという。2016年に国家史跡に指定。 ![]() これは別の日に通った「ロッテセンター・ハノイ」。272メートルで、地上65階、地下5階。の複合施設2014年9月2日に開業し、ハノイで2番目に高いビルなんだって。ベトナムの伝統衣装であるアオザイにインスパイアされた外観というが・・・
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by sustena
| 2026-04-19 17:33
| 旅
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2026年 04月 18日
今回の旅では、ダナン-フエ、フエ-ハノイと二度鉄道を利用した。 ダナンからは9:06発、フエに12:59到着予定である。 ダナン駅。待合室に入るときに、チケットを見せて入る。 列車が定刻よりちょっと遅れて到着。 この路線は世界有数の美しさという触れ込みだったので、ベトナム統一鉄道のwebサイトで1か月ぐらい前に車両や座席の配置と進行方向をチェックして海側の席を取ったつもりだったのに、山側だった・・・・・。 ただ、期待したほど海側が美しいかったかというとさほどでもなく、ダナンを出てしばらくは崖ばっかりだった山側も、次第にのどかな田園地帯のパノラマが広がって、ま、こっちでもいいか、と思ったのだった。 途中、いろんな車内販売がやってくる。蒸しトウモロコシを買ってみた。180円ぐらい。日本のものより、めちゃモッチリしていたよ。 ハノイへは寝台列車である。フエ16:08発。 フエ駅 二段ベッドが2つあるコンパートメントで下の座席を選んだ。もし上だったら、梯子ではなく、靴のかかとぐらいのサイズの取ってのようなものに足をかけて上に上がらなくてはならない。夕食は、車内販売で売りに来るものか、先頭車両の食堂車を利用ということで、食堂車に行ったら、メニューもなく、いきなりおじさんが定食とおぼしきものを持ってきた。ベトナムで食べたいちばん悲惨な食事だったなー。 ハノイ到着は6時ちょっと前。
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by sustena
| 2026-04-18 17:07
| 旅
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2026年 04月 18日
フエに1泊することにした。フエは、それまでホーチミンを首都として定めていた西山朝を、グエン朝の初代皇帝・ザーロン帝が10年の戦いの末に打倒。1802年に即位してフエを首都に定めた。以後、1945年13代バオ・ダイ帝まで、143年続いた古都。 グエン朝王宮を中心に歴代皇帝の廟が世界遺産に指定されている。 列車で到着した日は、フランス植民地時代に親仏的な傀儡政権を統べた第12代皇帝カイディン帝廟を見学。即位して4年後の1920年に着工。帝は25年に死去し、6年後の1931年に完成した。コンクリート製の建物で、内部はきらびやかなガラスのモザイクが圧巻。バロック様式、ゴシック様式、ヒンドゥー教様式が混在しているとのこと。 帝廟のメインエリアの入り口であるギーモン門の階段部分には、皇帝の力の象徴である龍がでーんと。 1922年にフランスで制作されたカイディン帝等身大の銅像。その下に棺がある。天井には9匹の龍の絵が描かれている。画家が足で描いたと、どこかのツアーのガイドが話していたが真偽は不明。 この日泊まったホテルは、由緒あるサイゴン・モリン・ホテル。 そうそう、到着した日はホテルの近くでフエ発祥のピリ辛で豚足や牛肉、鶏肉団子などがいっぱい入ったブン・ボ-・フエを食べた。ものすごいボリュームだったなー。 翌日は、対岸にある王宮へ。 川辺の公園に、20世紀初頭にフランスの植民地支配に抵抗したファン・ボイ・チャウの記念碑があった。 ドンバ市場がにぎわっていたので、ちょっと覗く。 横をバイクや車が通っていく。ちと怖い…。 王宮はベトナム戦争で大半が破壊されてしまったが、長年の修復を経て主な建物が再建され、1993年にベトナム初の世界遺産に指定されたという。 橋の向こうに見えるのは、正門である午門。5つある入口の中央の扉は皇帝専用だった。 閲是堂はベトナム戦争で唯一残った建造物で、中に2代皇帝ミンマン帝の命令で1826年に建設された劇場。ここで10時から日本の雅楽と共通の音楽が演奏されるということで待っていたのだが、日曜日で劇場の見学客は多いのに、音楽を聴きたいという人が10人に達せず、演奏はナシ。悲しい。 蓮の向こうに見えるのは、歴代皇帝の書斎だった太平楼。この日は何かの撮影で内部の見学はできず。 アオザイや伝統衣装を着て撮影する人がいっぱい。 ![]() ![]() 彼のアートとの出会いからフランスでの活躍や多彩な作品、帰国後の子供達を対象としたアート活動などがまとまっていた。 ![]() ![]() #
by sustena
| 2026-04-18 16:21
| 旅
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2026年 04月 14日
ミーソン遺跡にはkkdayの日本語混載ツアーで出かけた。 当初は7:30ホテルに迎えに来るということだったのだが、暑さ対策&早い方が空いているということで5:55ピックアップに変更になった。 日の出を車の中から。 入口。ここから電動カートに乗って、近くまで行く。 この日の日本語ガイドは33歳の明るく陽気なキムさん。 大学で日本語を専攻し、その後、ガイドしながら日本語を鍛えたという。 さてミーソン遺跡は、6~13世紀ごろに栄えたチャンパ王国の遺跡群。チャンパ王国は、ベトナム中南部に興亡した海洋交易国家で、ビルマ、タイ、カンボジア、インドネシアなどとも文化的な交流があり、海のシルクロードを通じてインド文化を採り入れ、ヒンドゥー教を信仰した国家。ミーソン遺跡は、4世紀後半にチャンパ王がシヴァ神を祀った木造の祠堂を創建したことからここに神殿がつくられ、最盛期には70以上のモニュメントがあったという。王と貴族、裕福な者だけが訪れることができた聖域であったが、その後ジャングルの中で忘れ去られてしまい、20世紀初頭にフランス人によって発見。修復・補修がなされたが、フランス領インドシナ統治時代に盗掘され、ベトナム戦争でここにアジトを作り隠れた南ベトナム解放民族戦線をねらったB-52の爆撃により多くが破壊されてしまったという。その後各国の支援により少しずつ修復が進み、1999年に世界遺産に登録された。 A〜Hまでアルファベットでグループ分けされており、ツアーではB、C、Dのグループを中心に回った。 ![]() ![]() ![]() #
by sustena
| 2026-04-14 15:27
| 旅
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2026年 04月 14日
最初に訪れたホイアンは、16世紀末以降、ポルトガル人、オランダ人、中国人などが行き来した国際貿易港として発展した町。江戸幕府との朱印船貿易もスタートし、日本人が来航。大規模な日本人街や中国人街が形成され、1623年にはオランダ東インド会社の商館も設けられたという。江戸幕府の鎖国によって日本との往来が途絶え、17世紀後半に清朝と鄭氏台湾が対立したことから交易は下火になり、1770年代に勃発した西山党の乱によって、町は破壊されてしまう。その後再建され、19世紀まで繁栄は続いたものの、たびたびの台風や洪水によって、市の中心を流れるトゥボン川に土砂が堆積して川底が浅くなったことから、大型船が往来できなくなり、衰退。ダナンに交易の中心が移っていく。 とはいえ、ベトナム戦争で破壊されることなく古い町並みが残ったため、旧市街は1999年にユネスコの世界遺産に登録され、仏教寺院のある屋根付き橋である「日本橋(来遠橋)」を中心に、豪商の家が点在し、黄色い外壁に瓦屋根の印象的な古い町並みが、(人込みさえなければ)タイムスリップしたかのようなたたずまいなのだった。
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by sustena
| 2026-04-14 09:32
| 旅
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