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2026年 04月 19日

ハノイ近代建築めぐり---ベトナム中・北部への旅#6

ホアンキエム湖です。湖の中心には、黎朝の初代皇帝に剣を返還した大亀の伝説にまつわる「亀の塔」があり、島につながる赤い「棲旭橋(フク橋)」がある、

ハノイに到着した日は、近場を中心に回ることにした。
ホテルは旧市街に位置しており、そこから5分ほどでホアンキエム湖に着く。
湖の中心には、黎朝の初代皇帝に剣を返還した大亀の伝説にまつわる「亀の塔」があり、島につながる赤い「棲旭橋(フク橋)」が見えた。
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この日は周辺が歩行者天国になっていて、何やらロードレースっぽいものが行われていて、マーチングバンドも。
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まずは、ハノイ歌劇場(ハノイ・オペラハウス)。フランス植民地時代の1901年に着工し、1911年に完成。パリのオペラ座(パレ・ガルニエ)をモデルにしており、フランスのネオ・クラシック様式(新古典主義)にバロックやアール・ヌーヴォーの要素が融合した建物だけど、内部見学はできず。
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続いて、フランス人建築家エルネスト・エブラールの設計した旧インドシナ大学(現在はハノイ国家大学およびハノイ薬科大学)。新古典主義の西洋建築様式とベトナムの伝統的な装飾モチーフが融合した建築で1923年から1926年にかけて建設されたもの。
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キャンパス内は理科系の学部の校舎がいくつか。日曜なのに、実験をしている学生たちがいたよ。下の写真は薬科大学の校舎。
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ハノイ国家大学のメインホールではちょうど結婚式の写真を撮影していた。
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続いて、ベトナム国立歴史博物館へ。残念ながら先史時代から近代までの館は修復中で入れず。ベトナムが独立に至るまでの経緯を紹介しているほうを見学した
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上の写真は、1945年のベトナム独立運動期に発行された機関紙。左はベトナム独立同盟(ベトミン)が発行する救国新聞 (Báo "Cứu Quốc")1945年 春季号。
右は、ベトナム民主党が発行する独立新聞 (Báo "Độc Lập") 1945年5月10日(第16号)、昔は漢字だったから、どくりつ=ドクラップ。
ここで、ホー・チ・ミンやベトナム共産党の歴史などを頭に入れたあとに、ハノイ大教会を経て、ホー・チ・ミン廟へ。
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ちょうどお昼時で、ステンドグラスがキレイだということだったけれど、ハノイ大教会の中に入れず。タクシーでホー・チ・ミン廟に向かった。
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ちょうど衛兵の交代式をやっていた。ハノイは北だから少しは涼しいかと思っていたのに、暑すぎー。この中で、じっと立っているのは、仕事とはいえ、たいへん。
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続いて目的のホー・チ・ミンの家へと向かう。まず見えてきたのが旧フランス領インドシナ総督官邸。1906年に完成したコロニアル様式の建物で、現在は重要な政府会議や外国首脳の迎賓館や歓迎式典などに用いられているとか。ホー・チ・ミンもここで一時期執務していたというが、独立後にこの豪華な宮殿に住むことを「国民が苦しんでいる中で贅沢すぎる」として拒否したという。
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ホー・チ・ミンの生涯を紹介するパネル。
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左上: 1911年6月、グエン・タット・タイン(ホー・チ・ミンの本名)がフランスへ向かうために乗った船の出発地、ニャー・ロン埠頭の様子。
その右: 1920年、フランス社会党大会で演説するグエン・アイ・クォック(独立運動に身を投じたときに阮愛國として署名)。彼はこの大会でフランス共産党の創立メンバーとなった。
左下: 1913年頃、ロンドンでコックとして働いていた頃のグエン・アイ・クォック。
その右: フランス共産党大会の参加者たちとの集合写真。

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ホー・チ・ミンの家。1958年から1969年までホー・チ・ミンが実際に生活し、執務を行ったベトナム北部の少数民族の伝統的な建築様式である高床式の建物。1階部分は会議に用いられ、2階部分は約10平方メートルほどの寝室と書斎になっている。
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近代建築めぐりの最後は、外務省本部ビル。建築家エルネスト・エブラールにより設計され1925年に着工、1928年に完成したフランス植民地時代を代表する建築物の一つ。伝統的な東洋の建築様式を取り入れたデザインで、ベトナムで唯一「100の屋根を持つ建物」と称されているという。2016年に国家史跡に指定。
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さんざ歩き回って疲れたので、このあとホテルに戻った。

これは別の日に通った「ロッテセンター・ハノイ」。272メートルで、地上65階、地下5階。の複合施設2014年9月2日に開業し、ハノイで2番目に高いビルなんだって。ベトナムの伝統衣装であるアオザイにインスパイアされた外観というが・・・
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# by sustena | 2026-04-19 17:33 | | Comments(0)
2026年 04月 18日

ベトナム統一鉄道に乗ってみた---ベトナム中・北部への旅#5

今回の旅では、ダナン-フエ、フエ-ハノイと二度鉄道を利用した。

ダナンからは9:06発、フエに12:59到着予定である。
ダナン駅。待合室に入るときに、チケットを見せて入る。
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待合室。電光掲示板には到着時間が書かれている。
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列車が定刻よりちょっと遅れて到着。
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この路線は世界有数の美しさという触れ込みだったので、ベトナム統一鉄道のwebサイトで1か月ぐらい前に車両や座席の配置と進行方向をチェックして海側の席を取ったつもりだったのに、山側だった・・・・・。
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ただ、期待したほど海側が美しいかったかというとさほどでもなく、ダナンを出てしばらくは崖ばっかりだった山側も、次第にのどかな田園地帯のパノラマが広がって、ま、こっちでもいいか、と思ったのだった。
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途中、いろんな車内販売がやってくる。蒸しトウモロコシを買ってみた。180円ぐらい。日本のものより、めちゃモッチリしていたよ。
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ハノイへは寝台列車である。フエ16:08発。
フエ駅
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二段ベッドが2つあるコンパートメントで下の座席を選んだ。もし上だったら、梯子ではなく、靴のかかとぐらいのサイズの取ってのようなものに足をかけて上に上がらなくてはならない。夕食は、車内販売で売りに来るものか、先頭車両の食堂車を利用ということで、食堂車に行ったら、メニューもなく、いきなりおじさんが定食とおぼしきものを持ってきた。ベトナムで食べたいちばん悲惨な食事だったなー。

ハノイ到着は6時ちょっと前。
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到着後2時間利用できるというVIPルームを予約したんだけど、あまり快適な感じもしなかったので、チラ見してホテルに直行。ホテルでリッチな朝食を頼んだのだった。
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# by sustena | 2026-04-18 17:07 | | Comments(0)
2026年 04月 18日

古都フエでのんびり---ベトナム中・北部への旅#4

フエに1泊することにした。フエは、それまでホーチミンを首都として定めていた西山朝を、グエン朝の初代皇帝・ザーロン帝が10年の戦いの末に打倒。1802年に即位してフエを首都に定めた。以後、1945年13代バオ・ダイ帝まで、143年続いた古都。
グエン朝王宮を中心に歴代皇帝の廟が世界遺産に指定されている。

列車で到着した日は、フランス植民地時代に親仏的な傀儡政権を統べた第12代皇帝カイディン帝廟を見学。即位して4年後の1920年に着工。帝は25年に死去し、6年後の1931年に完成した。コンクリート製の建物で、内部はきらびやかなガラスのモザイクが圧巻。バロック様式、ゴシック様式、ヒンドゥー教様式が混在しているとのこと。

帝廟のメインエリアの入り口であるギーモン門の階段部分には、皇帝の力の象徴である龍がでーんと。
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八角形のフランス建築様式の碑亭。
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天定宮殿には祭壇が設置され、カイディン帝の写真が飾られている。
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1922年にフランスで制作されたカイディン帝等身大の銅像。その下に棺がある。天井には9匹の龍の絵が描かれている。画家が足で描いたと、どこかのツアーのガイドが話していたが真偽は不明。
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モザイクが美しい。
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カイディン帝廟は高台にある。
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この日泊まったホテルは、由緒あるサイゴン・モリン・ホテル。
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廊下には歴史と伝統を感じさせる絵や写真が飾ってあった。これは創業当初の朝食メニューとか。
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ベランダからはフオン川が見下ろせる。
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そうそう、到着した日はホテルの近くでフエ発祥のピリ辛で豚足や牛肉、鶏肉団子などがいっぱい入ったブン・ボ-・フエを食べた。ものすごいボリュームだったなー。
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翌日は、対岸にある王宮へ。
川辺の公園に、20世紀初頭にフランスの植民地支配に抵抗したファン・ボイ・チャウの記念碑があった。
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チャンティエン橋を通って対岸へ。
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ドンバ市場がにぎわっていたので、ちょっと覗く。

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王宮まで歩こうと思っていたのだけれど、シクロに何度も誘われ、根負けして乗ることに。
横をバイクや車が通っていく。ちと怖い…。
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王宮はベトナム戦争で大半が破壊されてしまったが、長年の修復を経て主な建物が再建され、1993年にベトナム初の世界遺産に指定されたという。
橋の向こうに見えるのは、正門である午門。5つある入口の中央の扉は皇帝専用だった。
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閲是堂はベトナム戦争で唯一残った建造物で、中に2代皇帝ミンマン帝の命令で1826年に建設された劇場。ここで10時から日本の雅楽と共通の音楽が演奏されるということで待っていたのだが、日曜日で劇場の見学客は多いのに、音楽を聴きたいという人が10人に達せず、演奏はナシ。悲しい。
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蓮の向こうに見えるのは、歴代皇帝の書斎だった太平楼。この日は何かの撮影で内部の見学はできず。
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カイディン帝によって1921年から1923年にかけて建設された、阮朝最後の二人の皇帝の居城である建忠殿は、やはり西洋趣味。
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アオザイや伝統衣装を着て撮影する人がいっぱい。
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出口の顕仁門もカラフル。
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このあと。フエ宮廷骨董博物館へ。皇帝が座った椅子や、調度品、衣装が並んでた。
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その後、近くのバインコアイ・ホンマイという大衆食堂へ。メニューは2種類。
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上がNEM LỤI: ネムルイ(レモングラスの豚肉つくね焼き)。下がBÁNH KHOÁI: バインコアイ(フエ風お好み焼き/揚げパンケーキ)。どちらもフエの名物料理らしく、焼き立てが絶品だった。

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落ち着いたところで、ホテル近くの芸術家ル・バダンの作品を保存・展示するル・バダン記念館へ。
彼のアートとの出会いからフランスでの活躍や多彩な作品、帰国後の子供達を対象としたアート活動などがまとまっていた。
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# by sustena | 2026-04-18 16:21 | | Comments(0)
2026年 04月 14日

アンコールワットより古いミーソン遺跡---ベトナム中・北部への旅#3

ミーソン遺跡にはkkdayの日本語混載ツアーで出かけた。
当初は7:30ホテルに迎えに来るということだったのだが、暑さ対策&早い方が空いているということで5:55ピックアップに変更になった。
日の出を車の中から。
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入口。ここから電動カートに乗って、近くまで行く。
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この日の日本語ガイドは33歳の明るく陽気なキムさん。
大学で日本語を専攻し、その後、ガイドしながら日本語を鍛えたという。

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さてミーソン遺跡は、6~13世紀ごろに栄えたチャンパ王国の遺跡群。チャンパ王国は、ベトナム中南部に興亡した海洋交易国家で、ビルマ、タイ、カンボジア、インドネシアなどとも文化的な交流があり、海のシルクロードを通じてインド文化を採り入れ、ヒンドゥー教を信仰した国家。ミーソン遺跡は、4世紀後半にチャンパ王がシヴァ神を祀った木造の祠堂を創建したことからここに神殿がつくられ、最盛期には70以上のモニュメントがあったという。王と貴族、裕福な者だけが訪れることができた聖域であったが、その後ジャングルの中で忘れ去られてしまい、20世紀初頭にフランス人によって発見。修復・補修がなされたが、フランス領インドシナ統治時代に盗掘され、ベトナム戦争でここにアジトを作り隠れた南ベトナム解放民族戦線をねらったB-52の爆撃により多くが破壊されてしまったという。その後各国の支援により少しずつ修復が進み、1999年に世界遺産に登録された。

A〜Hまでアルファベットでグループ分けされており、ツアーではB、C、Dのグループを中心に回った。

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途中、プルメリア(インドソケイ)や天人花(テンニンカ)。まだ小さいけどパラミツの木にジャックフルーツも。
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この遺跡で興味深いのは、レンガの組み立て方。セメントや漆喰ではなく、植物性の接着剤を使ったらしいが、まだ研究中とのこと。

アカリスカザリシロチョウ?やトンボもいた。
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首がもげたシヴァ神。
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ひとつの遺跡の中が博物館風になっていた。
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サンスクリット語の石碑も
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チャム族伝統舞踊ショーも一日3回ぐらい行われるらしい。最後のほうをちょっとだけ見ることができた。
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遺跡を見終わったあとは、遅い朝食。バインミーと呼ばれるフランスパンの間にいろいろはさんだパンと、キムさんおすすめのソルトコーヒー。
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# by sustena | 2026-04-14 15:27 | | Comments(2)
2026年 04月 14日

往時が偲ばれる黄色い壁---ベトナム中・北部への旅#2

最初に訪れたホイアンは、16世紀末以降、ポルトガル人、オランダ人、中国人などが行き来した国際貿易港として発展した町。江戸幕府との朱印船貿易もスタートし、日本人が来航。大規模な日本人街や中国人街が形成され、1623年にはオランダ東インド会社の商館も設けられたという。江戸幕府の鎖国によって日本との往来が途絶え、17世紀後半に清朝と鄭氏台湾が対立したことから交易は下火になり、1770年代に勃発した西山党の乱によって、町は破壊されてしまう。その後再建され、19世紀まで繁栄は続いたものの、たびたびの台風や洪水によって、市の中心を流れるトゥボン川に土砂が堆積して川底が浅くなったことから、大型船が往来できなくなり、衰退。ダナンに交易の中心が移っていく。

とはいえ、ベトナム戦争で破壊されることなく古い町並みが残ったため、旧市街は1999年にユネスコの世界遺産に登録され、仏教寺院のある屋根付き橋である「日本橋(来遠橋)」を中心に、豪商の家が点在し、黄色い外壁に瓦屋根の印象的な古い町並みが、(人込みさえなければ)タイムスリップしたかのようなたたずまいなのだった。
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▲これが来遠橋
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▲トゥボン川
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▲ブーゲンビリアも印象的
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▲古い家をリノベした飲食店も多い。これはクラフトビールの店。
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▲商家は京都の町屋のようにウナギの寝床のように入口が狭く奥に続き、中庭があるつくり。
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▼旧家のひとつ、クァンタンの家でホワイトローズという名物料理を食べる
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▲旧市街全体を見渡せるカフェからパチリ
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# by sustena | 2026-04-14 09:32 | | Comments(0)