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2014年 08月 01日

ケルトの虎、その後────愛蘭土がぶ飲み紀行#11

ジョイスやベケットやスウィフトなと、一癖も二癖もある文学者や、アランセーターやフラハティの映画の影響もあって、私のアイルランドイメージは、やせた土地で貧しくて、頑固だけど人のいい酒好きなアイリッシュがいて・・という、1970年代ぐらいまでのワンパターンなものでずーーっと固定されていた。

ところが、観光バスでいろんな村やまちを通り過ぎていくけれど、さほど”貧”な感じがしない。走っているクルマだって、リッパである。

聞けば、2013年のドル建て一人当たり名目GDPは、アイルランドは45,620.71ドルで15位、日本は38,491.35ドルで24位だという(IMF「World Economic Outlook Database」2014年4月)。別にGDPが多いからってエライわけじゃないけど、80年代まではヨーロッパの病人といわれて、生活水準がEUの中でも低い国の一つだったはず・・・・ということでデータをチェックしてみたら・・・

         アイルランド     日本
1980年     6175.35     9311.79
1985年     5863.83    11464.24
1990年    13478.01    25139.58
1995年    18860.13    42516.46
2000年    25759.86    37303.81
2002年    31515.30     31241.17
2005年    49090.31    35780.57
2010年    46056.37    42916.74
2013年    45620.71    38491.35

なんと日本がバブルの後遺症でひーひー言っている90年代半ば以降ぐんぐん成長しているではないか。95年から2000年の6年間の平均伸び率は9.7%にもなり、その勢いに「ケルトの虎」と呼ばれたほどだ。

その要因はEU(加盟当時はEC)に仲間入りしてポンドからユーロ圏となったことをきっかけに、法人税率を10%(その後12.5%)にまで下げて外資を融資したこと。英語を話せて、教育水準が高い一方、賃金が比較的安いことから、アメリカ企業などのEUへの進出の拠点となったのだ。またサービスセンターや研究開発センターも呼び込み、アメリカの深夜から朝にかけて、時差を利用してITの開発業務などを行うことで、進出企業の業務効率アップにも貢献した。こうして、医薬品、ICT、金融系企業などがわらわらとアイルランドに集まったのだ。(データによると、世界のICT上位10社のうち8社、製薬企業上位10社のうち9社、医療機器上位25社のうち17社までもがアイルランドに集中したという)

しかし、2008年のリーマンショックで一転、銀行の経営破たんが相次ぎ、2010年のギリシャの財政危機が波及するに及び、アイルランドの国債利回りは急上昇。同年11月に総額850億ユーロのEU・IMF支援を受けることになり、一時は「ケルトの猫」とさげすまれてしまう。
そこで大胆な財政改革を断行して、それまで大学までの教育費がタダだったのを一部有料化するなど、国民にも痛みを伴う負担を求めた結果、2013年12月にEUとIMFによる経済調整計画が完了。現在は、金融不安から上昇していた国債金利も下がり、自力で資金調達を行う国際的信用力を取り戻した。失業率はまだ高いものの、いろんな経済指標が回復基調にあるとか。

将来世代に借金を残しているものの、前倒しで返済していくぞーとがんばっているそーなんであります。何しろ、25歳以下が人口の約35%を占め、国民の平均年齢も35.6歳と日本より10歳も若い。グローバル経済の動きは不透明な部分もあるけれど、見通しはそんなに暗くはないみたいだ。

一方、高齢化し、膨大な借金をさらに積み重ね、格差社会が拡大している日本。規制緩和して、法人税を安くして外資の投資を呼び込もう、なんて言ってるけど、労働人口が高齢化してるニッポンで、果してうまくいくのだろーか、外資とグローバル企業だけを儲けさせても、フツーの生活者にどれだけプラスになるのか、いまいちおつむの弱い私にはワカラナイよなぁ・・・・なんて思ってしまうのだった。

車のナンバープレートはEU共通。左に国の名前。車の製造年の西暦下二桁+地域略号+通し番号なんだそう。
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あれこれ思いながら、ボケッと窓の外を眺める。
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by sustena | 2014-08-01 22:05 | | Comments(2)
2014年 07月 29日

アラン島のセーター────愛蘭土がぶ飲み紀行#9

アラン島はン十年前からの憧れだった。

ファッション誌で荒涼とした海とともにたたずむアランセーターを着たイケメンの写真に溜息をついたし、富岡多恵子がスウィフトの生涯を辿りながらアラン島を旅した写真に、どんな土地だろうと思いめぐらした。

ゴールウェイの港からフェリーで45分ほど。アラン諸島の一番大きな島という意味のイニシュモア島につく。
5分ほど歩くと島の中心地(といってもスーパーと土産物屋、レンタルバイク店、B&Bがちょこっとあるぐらい)で、目の前にセーターを売っているお店がある。
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アラン島のセーターといえば、妻たちが荒れ狂う海に出かける夫たちの安全を祈り、命綱をイメージさせる縄編みをベースに、万が一海に落ちて溺死しても、セータの模様でわが夫とわかるよう、各家庭で独自の模様を組み合わせて心をこめて編んだという。脱脂されていないごわごわの羊毛でできているため、重たいけれど、吹きすさぶ風と寒さから着る人を守ってくれるのだと。

でも、ものの本によると、それは美しい「伝説」であって、産業もないこの島の妻たちの「内職」として20世紀前半になって織られるようになったのだとか・・・。しかも普段編むのは紺色で(だって、白だったらめちゃくちゃ汚れるしー)、白は教会での儀式用なんだとか。えー、そうなのー???

伝説の真偽のほどはともかく、今は機械編のセーターが大半で、手編みのものはHandmadeのタグがついていてかなーり高い(アタリマエだ)。セーターも軽く、おしゃれなデザインのものが多かったよ。

近くにはロバート・フラハティ監督「Man of Aran」の看板もあった。アラン島というと、厳しい自然と戦うアラン島民の過酷な暮らしを描いたこの記録映画(というか、今でいうところの再現映像も多いとされるが)を思い浮かべる人も多いんじゃないかなぁ。
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どれほど過酷だったかというと、岩だらけのこの島には、かつては土らしい土がなかった。
たとえば司馬遼太郎が『街道をゆく』で紹介していた尾島庄太郎さんの次の文章では———
「岩盤の上に『土地』を作るのだ。岩路の砂ほこりや、道の両わきへ踏み弾かれて集まる砂利をあつめ、それに海藻を混えて畑を作る」(『アイルランド文学研究』1956)

掘っても掘っても岩ばかり。そこにワカメなどをまぜてかろうじて土をのっけるのがが、それも風によってさらわれてしまう。そこで石を積み上げて風よけとする。
今は多少は緑が広がり、花が咲いているが、よく見るとほんの数センチ下は岩盤である。
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とはいえ、そんな過酷な自然とアランセーターの魅力に引かれて、人口は約900人のこの島に、年間十数万人を超える観光客がやってくる。現在スーパー1軒、郵便局が1つ、週に2日だけオープンする銀行が1つ。でもパブは5軒!
ケルト十字の墓地を眺め、昼はロブスター料理。いい天気だった。
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by sustena | 2014-07-29 23:44 | | Comments(2)
2014年 07月 25日

猫の目天気─────愛蘭土がぶ飲み紀行#6

アイルランドでは、天気が変わりやすいという。どしゃぶりのち曇り、一時晴れ、ところにより、降ったりやんだり。と、一日のうちに雨と晴れと曇りが次々に入れ代わる。なので、バスに乗りながら外を見てて、わっ降り出したと思って、また10キロぐらい行くと晴れて、このぶんなら・と期待してたら、またも雨で・・・なんてことも多かった。
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こーゆーわけで、雨は降っても一日降り込められるようなことは少なく、比較的すぐやむことも多いので、決まって降るくせに傘を持たない人が多いんだそうだ。

風はけっこう吹く。だから天気が悪くて風が強いと、夏でも薄手のセーターぐらいあったほうがいいくらい冷え込む。かくてショルダーの中には、ヤッケとストールをいつも入れ、天気に合わせて自在に温度を調節できるようスタンバイと相成る。

ガイドさんによれば、今回はラッキーな天気が多かったようで、このあとぼちぼちと紹介していく絶景系の名所を訪ねたときは決まって晴れ。

ただし、ダブリン近くでクリフウォーキングをしたときは、午前中ざんざぶりになり、午後からカーッと晴れてきたものの、湿気が多かったので珍しく霧になり、ホントは海が見下ろせるはずなのに、視界1m。雨の中のヒースが見えただけ、ってことが一度あった。
これまた旅の思い出ではある。

この向こうがホントは海

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こんな注意看板があったが・・・。とにかくミエナイ。

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大きな窓がついた観光バスの座席から、次々に雲がかわっていく様子を眺めているのを眺めているのはちっとも飽きなかった。
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by sustena | 2014-07-25 23:24 | | Comments(2)
2014年 01月 19日

回覧板

一昨日の19時ごろ、出先から戻ってきた息子に、回覧板を隣の家のポストに入れるよう頼んだら、「だから、建築学でやってることはキレイゴトなんだ!もう回覧板なんかやめればいい! 」と、プリプリして戻ってきた。

聞くと、回覧があるのに気づかないといけないと思って、インターホンで回覧を届けにきたと伝えたところ、ポストに入れておいてくれと、つっけんどんに言われたんだという。

夕飯どきだから、忙しかったんじゃないの、と言うと、すまなそうな口ぶりじゃなかった、と収まらない様子。

以前回覧板を頼んだときも、ただポストに突っ込んでおけばいいからと渡したのを、回覧板の現代的意味とは、コミュニケーションの疎遠な隣同士に挨拶の機会を提供することにあるはずだと思い手渡ししてきたというので褒めてやったことがあるけど、まぁ、現実はねぇ。

大学院では、現代のコミュニケーション難民?を建築のデザイン面でいかにサポートできるか、といったプランをいろいろ考えたりしてるようなのだが、そんなの絵に描いた餅だ!とオカンムリなのであります。そんなに理想通りにはいかないのはアタリマエだけど、かといって、すぐ絶望するもんでもないんだけどね。

機嫌を直すように、好物の夕食をつくってやったのであります。
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by sustena | 2014-01-19 22:15 | つれづれ | Comments(4)
2013年 07月 04日

シネマ歌舞伎クラシック『梅雨小袖昔八丈 髪結新三』

c0155474_22405313.jpg歌舞伎座が新開場を記念して、東劇で、第4期歌舞伎座時代の名優たちの映像を紹介する「シネマ歌舞伎クラシック」を上演中だ。

にわか歌舞伎ファンの私は、歌右衛門や十七世の勘三郎、先代の仁左衛門などの作品はほとんど見ていない。なので、まずは、1600円とちょっと高いけど大好きな世話物の「髪結新三」を見にでかけた。
1981年5月の歌舞伎座。今からもう30年以上前なのね・・・。

配役は
髪結新三:中村勘三郎(十七世)
手代忠七:尾上梅幸(七世)
白子屋お熊:中村芝翫(七世)
下剃勝奴:中村勘九郎(十八世 中村勘三郎)
家主長兵衛:市村羽左衛門(十七世)
弥太五郎源七:片岡仁左衛門(十三世)

先になくなった十八世 中村勘三郎の若いこと(涙)。口跡は、十七世とそっくりだったんだなぁ。(新三と長兵衛のやりとりをじっと見てる目がめちゃ真剣なのも印象的)
先代の仁左衛門のひょろっと背が高くて、どこかまどろっこしい喋りが楽しい。それを十七世の勘三郎がまねるシーンのおかしいこと。芝翫は美しいし、梅幸の品、羽左衛門の長兵衛が新三を手玉にとるところがなんとも呼吸がすばらしい。

髪結新三は2011年秋に、菊五郎の新三で見てるけど、それと比べると、やっぱり時代がかってる感じ。テンポがちょっと違うんだと思うけど、ことに端役の人たちの調子が、ちょっと間延びしてるように感じるのは、やはり30年もたって、すべてのものがスビードアップしてるからなのかしらん。
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by sustena | 2013-07-04 22:46 | Theatre/Cinema | Comments(0)
2013年 02月 20日

空、ひろびろ

きょう、京急の川崎大師のさらに先のほうにある研究所に取材に行った。
空が広々してたなぁ!
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研究所の建物の隣にネコが。こんなにだだっぴろいところで何を食べてるんだろうか。研究所の人に何かもらってるのかしらん。なかなかお行儀がいいのだった。(立入禁止の菱形金網フェンス越しにぱちり 遠かったのでトリミングしました~ GRD3)
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by sustena | 2013-02-20 22:45 | つれづれ | Comments(4)
2012年 10月 19日

吉田 修一『平成猿蟹合戦図』

c0155474_2238440.jpg吉田修一さんの『平成猿蟹合戦図』(朝日新聞出版 2011年9月刊)を読む。
吉田さんの小説を読むのは初めてで、『悪人』の映画を見て、平成版の猿蟹合戦ということは、『悪人』の延長線上の世界なのかなぁと漠然と思っていたのだが、ちょっと違った。

田舎出身の若者たちの、かなりゆるーい、おとぎ話みたいな敵討ち物語ではある。

ハチとクリとウスと牛糞に相当するのは、秋田県出身の韓国クラブのバーテンダーと長崎・五島列島出身のホスト。ホストを追っかけて五島列島から子連れで新宿歌舞伎町に出てきたホステス、政治家の秘書を志す女をはじめ、秋田県大館に一人で住む老婆などいろいろ。

ひき逃げ事件を目撃したバーテンダー。しかし、警察に出頭したのは別人だった。どうやら身代わりを立てたらしい。そこでしがないホストと組んで、世界的なチェロ奏者の犯人をゆすろうとするが、彼にはクラーイ過去があった。脅し脅され、人を助けたりしてるうちに、一見なんの関係もなさそうな人々が、やがてあっちでつながりこっちでつながり、しまいにはこの国を変える選挙という戦いに突入することに・・・。

何だか中途半端な登場人物たちなんだけど、次第に化けていく。こんなにうまくいくわけないだろーと思うけど、ページを追うごとになんだか登場人物たちに目が離せなくなって、つい応援しちゃいたくなる。

ワルが一人も登場しないこの小説の(チンピラはいるけどね)、ほんとのワルの蟹っていったい・・・?

先週の土曜日の空
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by sustena | 2012-10-19 22:39 | 読んだ本のこと | Comments(12)
2012年 09月 07日

入院

来週月曜日に入院することになった。

昨年春の職場の健診で、いつもは脳のCTスキャンを受けていたのだけれど、「あなたみたいに血液サラサラでリスクの低い人は毎年脳のCTをやる意味がない」と言われて、じゃあ胸部CTに、ととったら「影があるから病院に行け」と言われたんである。

そこで1カ月後、3カ月後、半年後と継続して胸部CTをとってきたけど、何の変化もない。1年経ったし、もういい加減、定期検査することもないよねー。自覚症状もないのに・・・・・・と言おうとしたら、「ほんのちょびっと大きくなっている」という。「たぶん肺腺がんだと思うから、外科に行って手術の相談をしなさい」。

え、いま肺がんって言った? しかも左肺を半分もとっちゃうんだという。あーれー。

その日は何がなんだかわからなかったけど、帰ってきて調べまくってようやく合点がいった。早期発見なので、ラッキーなんだそうだ。それが今年の5月のことである。

手術をするしかないということはわかったけど、仕事がたてこんでて、とうていいま手術をするわけにはいかない。9月がベストだから、ということで仕事を前倒しに進めてきて、今週職場で入院を宣言して段取りを一通り終えたところなのだ(といっても積み残しがけっこうある)

とにかくまだ全然現実感がない。

きょう会社を出るとき、営業の部長に「がんばって」って握手されたけど、がんばらなきゃならないのは、ワタシじゃなくて執刀する医者なんだよね。
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by sustena | 2012-09-07 23:05 | つれづれ | Comments(2)
2012年 02月 19日

BERLIN―土田ヒロミ写真集

c0155474_10463435.jpg土田ヒロミさんの写真集「BERLIN」(平凡社 2011年11月刊)を図書館で借りてきた。29×31cm 130ページで、(1)1983、(2)1999‐2009、(3)20093つのパートに分かれている。でも、それぞれの年だけで校正されているわけではなくて,1983のパートに2009年に撮った写真が入っているし、1999‐2009のパートには、1983・1999・2000・2009の各年のもの、2009にも、1983年と1999年に撮影された写真が入っている。

プロローグに、
そこに在るといえるものは
過去の現在
現前しているものの現在
未来の現在
というアウグスティヌスのエピグラフが掲げられていて、本書のねらいもまさにそこにあるのだろう。

土田さんが初めてベルリンの壁を撮ったのは1983年、2日間の滞在だったという。その後1999年から2000年に訪れたときは、すでに壁の多くは撤去されていて、さらにその10年後に訪れたときは、壁崩壊20周年の式典が行われていた。

私が初めてベルリンの壁を見たのは、たしか1978年のことで、おお、落書きがしてあるのかーとちょっと驚いて、東ベルリンのがらんとした感じに、緊張したものだった。

この写真集でも、1983年のものは人けがない。人が写っているのは壁の向こう側をみる見物台にのぼって、東側を眺める光景を撮ったものだけ。同じような見物台は2009年にもあるけれども、こちらはカラーで何やら祝祭気分に満ちている。

1983年のものはすべてモノクロ。なので、壁のない風景と対比したページはモノクロとカラーの対比が鮮やかで、一方、同じ場所の1999-2009年を並べたところは同じ10年でも地続きの感じ。それが、2009のパートであえてモノクロにした2009年の写真を眺めると、ああ、やはり1983年からも続いているのだなぁという感じがして、ちょっと不思議な間隔に襲われる。

群衆の写真はいつもながら土田センセイである。
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by sustena | 2012-02-19 16:15 | 読んだ本のこと | Comments(6)
2012年 01月 26日

きのうの空

きのうクルマの中から見た夕方の空がすごく心に残ったよ。
何かがおこりそうで、とてもドラマチックだったんだけど、ボヤボヤしてるうちに取り損なって、助手席側の空をぱちり。この写真を見たら、あの空を思い出せるかなぁ。
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by sustena | 2012-01-26 22:49 | | Comments(8)