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2012年 09月 16日

暇をかこつ

検査も何もないとほんとに1日ヒマである。7時半と12時と17時40分の三度の食餌は10分もかからず平らげちゃうし。

テレビは有料で5分10円。もともとあまりテレビは見ないので、朝7時から1時間NHKのニュースを見ておしまいにしてたんだけど、きのう「踊る大捜査線3」を見てたら300円もかかっちゃったなー。

図書館で予約の順が回ってきたムズカシイ本はいまいち手術のあとは読む気がしない。きっと脳に酸素が回り切らないのだ。

そこで息子が差し入れてくれたのは、岩明均の『寄生獣』全10刊。人類が増えすぎたと、あるとき人類のカラダをのっとってしまう生き物がやってくる、そいつは人間をミンチ状に殺し食べてしまうのだ。主人公の青年シンイチは右手から入り込もうとしたその生き物を右手を縛りあげることで、脳をのっとられるハメに陥らすにすんだ。その日からシンイチは右手と共存しながら、仲間を殺そうとする彼らと戦っていく・・・。肺を取った人にこんな漫画を読ませるかなー。
(もっともせっかく持ってきてくれたから昨晩と本日、キリテカナワと中丸三千繪のオペラのアリアと、ヨーヨー・マのバッハの無伴奏チェロ組曲を聞きながら読了(へんな組み合わせ)

息子が持ってきてくれたDVDは次の5つ

「探偵はBARにいる」(これは私がオーダー。どこがいいんだかわからない小雪だったが、けっこうはまり役だったねを差し入れてくれた。。松田龍平もよかったなー)

「ソマリア」(韓国映画、キム・ギドク監督、海外旅行をしようとネットで相手を見つけては援助交際をする親友の女の子二人。セックスをする役を買ってでたチェヨンはインドの伝説の娼婦パスミルダ気取りで屈託がない。しかし警官から逃れるために窓から飛び降り死んでしまう。あとに残されたヨジンはかつての親友の相手を呼び出し、お金を返していく。あるとき別の事件を操作中の父親が、ホテルにいる娘を見つけ、娘を尾行しては相手を追い返したり叩きのめし、ついには・・  ・うーむ、なんて映画だ・・・いい映画ではあるんだけど。

「レザボア・ドッグス」 タランティーノの映画でおもしろいけど、これまた強盗のために呼び集められたお互いにコードネームで呼び合うギャングが、次々に死んじゃうしー

「クラッシュ」LAを舞台に、多民族国家・アメリカの人種差別や偏見、その一方での人々のつながりを描いたもの。人種差別主義者の白人巡査ライアン(マット・ディロン)とメキシコ系の錠前屋のダニエル(マイケル・ペーニャ)とその娘がよかったー。ポール・ハギス監督。これまたあまり明るい気分になる映画とは言いがたいよねぇ。

「21g」これはこれから見るんだけど。これも命を失うと21g軽くなるっていう話じゃなかったか???

うーむ、息子はどういうセンスをしているんだか。
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# by sustena | 2012-09-16 19:35 | つれづれ | Comments(2)
2012年 09月 15日

病院の食事のこと その2

病院の食事について報告したあと、夕食になった。

夕食の献立は
麦ごはん150g
とろろ
白身魚のうに焼80g
がんもの煮物
わかめの酢味噌和え

であります。593Kcal
病院の食事のこと その2_c0155474_18491879.jpg

トレイに「今日は麦ごはんです!」というB6の紙にコピーされた解説が載っていた。

明治17年、海軍軍医高木兼寛先生(ここの学祖)が当時の陸海軍で大問題となっていた脚気について、食物原因説を唱え、米麦等分の主食を海軍の兵食として定め、脚気感謝の死者をゼロにすることに成功し「ビョウシャイチニンモナシ アンシンアレ」という電報を打ったこと。
彼が食餌の改善によって脚気を激減っするに大いに功があったことを紹介し、ビタミンB1や食物繊維を豊富に含んだ麦を、みなさんのご家庭でも取り入れては、と提案しているものだ。

この紙には詳しく書かれていなかったけど、当時高木のこの説に科学的でないとし、医者のくせにエビデンスを無視した反対論をぶちあげていたのが陸軍軍医の森林太郎(鴎外)である。彼は細菌説を唱えて、麦飯の導入に反対を続け、その結果、海軍では脚気による死亡患者はほとんどなかったのに、陸軍では、日清・日露戦争で多大な脚気による死者を出したのでああーる。しかも森鴎外は誤りを決して認めようとしなかったという。舞姫のエリスを捨てたことといい、脚気問題といい、イヤな奴であります。

# by sustena | 2012-09-15 18:52 | 読んだ本のこと | Comments(10)
2012年 09月 15日

病院の食事のこと

いつの間にかもう入院6日目である。本日はドレインが取れて背中から入れていた痛み止めの管も抜けてシャワーOK。久々にさっぱりしたー!

手術のあとはさっぱり食欲がなくて副菜ぐらいしか食べられなかったのだが、本日の昼はほぼ完食。
メニューは
七分づき米150グラム
玉ねぎとわかめの味噌汁
とんかつ肉70グラム
青菜の胡麻和え
サラダ
果物(キウイ)
パックソースと辛子がついて590kcal
病院の食事のこと_c0155474_1745216.jpg

思ったよりずっと味が濃くて、病院食の味気なさは当てはまらない。

なんと手術翌日の昼間はジャージャー麺だった!おかゆじゃないんだー。消化器系じゃないからだろうけど、それまたびっくり。

ここの病院の食事でよいのは2点。朝と夕方は2つのメニューから選べること。そして(いまはどこの病院でも常識なのかもしれないけれど)サラダや果物など冷たいものは冷たいまま、温かいものは温かいまま出てくること。
こんなふうにトレイの左右で別々に保冷温できるようになっている。((
病院の食事のこと_c0155474_1745327.jpg
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ここでの食事もあとちょっとだ。

# by sustena | 2012-09-15 17:48 | 食べ物 | Comments(2)
2012年 09月 15日

國分 功一郎 『暇と退屈の倫理学』

國分 功一郎 『暇と退屈の倫理学』_c0155474_12502040.jpgタイトルに惹かれて國分功一郎さんの『暇と退屈の倫理学』(朝日出版社2011年10月刊)を読んだ。

人類は豊かさをめざしてきたのに、その豊かさが達成されると不幸になってしまうという逆説から、著者は考えを巡らし始める。
社会が豊かになると余裕が生まれる。その余裕を使って何をしているか、好きなこと、という人がいるかもしれない。でもいったいどれくらい多くの人が自分の好きなことができているのだろうか。高度資本主義社会においては、消費者の欲望は、自分のほんとの欲望ではない。好きなことは産業によって与えられている。
つまり、暇が搾取されているのである。そして私たちは暇のなかで退屈してしまう、

そもそも人はいつから暇を見出すようになったのか。暇と退屈のルーツを追って有史以前に思いをはせる。私達が暇を得るのは定住生活に入ってからだ。人類は遊動生活が維持できなくなったからやむなく定住の道を選んだのである。、それは定住革命とも呼ぶべき変化をもたらした、そして退屈を回避する必要に迫られていく。

その後本書では、退屈について論じた哲学者をたどって行く。「暇と退屈の原理論」では、パスカルの言葉をひく。「人間の不幸などというものは、だれもが部屋にはじっとしていられないがために起こる」
兎狩りに行く人はウサギがほしいのではない。熱中できることがほしいだけなのである。
人間が退屈という病に陥ることは避けがたい。つまらぬ気晴らしによってそれを避ける事はできるが、その結果、不幸を招き寄せてしまう、とシニカルにパスカルはいう。そこから脱却するには神への信仰が必要と説いたのである。
一方ニーチェは、人は苦しみがほしいという欲望を持っていると説く、それがファシズムの心性に近いことを想起しなければならない。単に快楽や楽しみを求めることがいかに困難なことか。
退屈の反対は快楽ではなく、興奮である。今日を昨日から区別してくれる事件を求めている。でもその解決策として「熱意を持った生活を送れ」、というのは問題である。それは不幸へのあこがれをもたらすからだ。
ラッセルの幸福論や。消費社会を論じ、ハイデッガーの退屈論を批判的に考察していく。特にハイデッガーの退屈論が興味深かったな(納得出来ない部分もあったけれど)

19世紀イギリスに生きたウイリアム・モリスは、もし革命が起こってしまったら、その後どうしよう?と考えた。彼の結論は「わたしたちはパンだけでなく、バラも求めよう。切ることはバラで飾られなければならない」、なんてすてきな答えだろう。

暇に飽きた人たちは自分を奮い立たせ、突き動かす大義をもつ人をうらやましいとすら思ってしまう。そんな欠落感を覚えることなく、もっとキチンと暇と退屈に向き合っていかねばならない。これが筆者の出発点であり結論なのだった。
國分 功一郎 『暇と退屈の倫理学』_c0155474_17372379.jpg


序章 「好きなこと」とは何か?
第1章 暇と退屈の原理論―ウサギ狩りに行く人は本当は何が欲しいのか?
第2章 暇と退屈の系譜学―人間はいつから退屈しているのか?
第3章 暇と退屈の経済史―なぜ“ひまじん”が尊敬されてきたのか?
第4章 暇と退屈の疎外論―贅沢とは何か?
第5章 暇と退屈の哲学―そもそも退屈とは何か?
第6章 暇と退屈の人間学―トカゲの世界をのぞくことは可能か?
第7章 暇と退屈の倫理学―決断することは人間の証しか?

# by sustena | 2012-09-15 12:24 | 読んだ本のこと | Comments(2)
2012年 09月 14日

手術終了

一昨日が手術だった。
血栓予防に圧迫ハイソックスをはいて、紙のちょうちんブルマーのようなパンツと手術着に着替えて、8時15分頃に歩いて手術室へ。
手術終了_c0155474_19271361.jpg

全身麻酔の前に硬膜下麻酔をし、そのうちにわけがわからなくなり[終わりましたよ]の声と[やはりがんでした]という声が聞こえて、ICUに。そのときガタガタ震えてちょびっと気持ち悪かった[ことしか覚えていないなぁ。

ICUではみんなバタバタしてるんだけど、疲れてたせいかぐっすり眠れて(ああ、でも水は飲みたかったんだった。誤飲のおそれがあるからとうがいしかさせてもらえなかった)、翌日病室に戻った。この日もほとんど一日横になっていた。(といっても、翌日の昼からは普通の昼食が出た。副菜のきゅうりの酢の物しか食べられなかったけれど)
ぐったりした私を見て息子は「20年後を見るようだああ」だって。ひどーい。

そしてきょう、両腕のカテーテルや心電図のモニタなどが取れて残るは胸から出ているドレンだけに。ちょびっとふらつくけど、なるべくからだを起して歩き回ってる。
手術終了_c0155474_19313011.jpg

痛いのに、そしてちょっと歩くとハァハァしてるのにまだ実感がないってのは、いまだ左肺上葉を取ったことを受け入れられないんだろうか。よくわからない。

知人が小三治のCD(ドリアン騒動~備前徳利)とクラブトゥリー&イブリンの石鹸を贈ってくれた。嬉しい。

# by sustena | 2012-09-14 19:31 | つれづれ | Comments(10)