いつもココロに?マーク

sustena.exblog.jp
ブログトップ | ログイン

<   2014年 07月 ( 17 )   > この月の画像一覧


2014年 07月 30日

ちょっと映画の話────愛蘭土がぶ飲み紀行#10

ロバート・フラハティ監督の話が出たところで、このあたりで映画の話を。アイルランドが舞台の映画はいくつもあるけれど、有名どころでは、独立戦争前のアイルランドを舞台に、片田舎の村の人妻とイギリス人将校の恋愛を描いた「ライアンの娘」(1970)、IRAものとしては、IRAの殺し屋として、スクールバスを誤爆させたことを契機にIRAを去り、警察からもIRAからも追われる身になって・・・というミッキー・ローク主演の『死にゆく者への祈り』(1987)、IRA暫定派のテロがひき起こした事件で犯人として逮捕されたジェリー・コンロンとその父親の、無実を証明しようという戦いを描く「父の祈りを」(あら、3つともイギリス映画だった)、イギリスからの独立をめざした1916年の「イースター蜂起」の立役者を描いた「マイケル・コリンズ」(1996 こちらはアイルランド、イギリス、アメリカの合作)などが思い浮かぶ。

アイルランド映画で最近見た中では、19世紀のダブリンを舞台に、ホテルマンとして男装して一生を過ごした女性をグレンク・ローズが演じた「アルバート氏の人生」(2011年)がヨカッタ。

古いところでは、(これは私は見てないんだけど)、アイルランド移民の子という自らのルーツを作品にダブらせたとされるジョン・フォード監督の「静かなる男」(1952)が有名だ。アメリカ育ちのショーン(ジョン・ウェイン)がルーツであるアイルランドの村を訪れ、そこでメアリー・ケイト(モーリン・オハラ)という娘と恋仲になる。しかしメアリーの兄はショーンを気に入らず、ついに二人は決闘を果たすが、エンエン戦ううちに仲よくなるという話らしい。

この作品の撮影が行われたのがコングという美しい町だった。コングとは、ゲール語で水と水との間の土地という意味で、アイルランドの有名なリゾート地のひとつらしい。ジョン・ウェインがモーリン・オハラをお姫様抱っこしている彫刻があったよ。
c0155474_2316280.jpg

車で10分ほど離れたコリブ湖のクルーズでは、若い時に「静かなる男」に村民の役で出たという老人がアコーディオンを弾いてくれた。こんどDVDを借りてみてみようっと。
c0155474_23221364.jpg

c0155474_23205696.jpg

映画の話で思い出すのは、「風と共に去りぬ」の主人公のスカーレット・オハラが、アイルランド移民で綿花栽培で成功した大農場の娘という設定だったことだ。負けず嫌いで、 わがままでジコチューで、情熱的で、いかにもアイリッシュの血が流れていると感じさせてくれる映画。その有名なラストシーンが、南北戦争で北軍に破れ、夫レッド・バトラーも彼女のもとを去ってしまう。そんな絶望の中で、再びキッと立ち上がって誓うのだ。タラに帰ろう、明日は明日の風が吹くTomorrow is another day!、と。

ここでタラというのは、スカーレットの生まれ故郷のジョージア州の架空の地名だったが((それとも農場名だったかしらん? )、アイルランドでタラといえば、古代のケルト人たちが王を選出し、戴冠式を執りおこなってきた「タラの丘」のこと。晴れた日には国土の70%が見渡せるといわれる。7 割はにわかには信じがたいけれど、この小高い丘の上に立つ石に手を置き、その石が震えた人が、王となる資格を持つという伝説があるんだそうだ。風が吹きわたりとても気持ちがよかった。まさにアイルランド人の原風景とされる場所なのだった。
c0155474_23443879.jpg

ところで、映画の話ついでに、もひとつおまけ。
1912年に処女航海で氷山にぶつかって沈んじゃったタイタニック号は、北アイルランドのベルファストにあるハーランド・アンド・ウルフ造船所で建造されたそうな。ベルファストにタイタニック博物館があってそこも見学したのだった。20世紀初頭のベルファストの様子や産業、タイタニック号ができるまでの工程、船内の様子などを実感できる博物館で、なかなか臨場感たっぷりだったよー。

これはバスの中からみた造船所。
c0155474_23505242.jpg

タイタニック博物館
c0155474_23512664.jpg

館内
c0155474_23521524.jpg

当時の船旅のポスター
c0155474_2353295.jpg

ゴンドラに乗って(テーマパークみたい)造船工程を見学。これは狭い場所でのリベット打ち。
c0155474_2354445.jpg

沈んだとはいえ、世界一のものを造ったのは、ベルファストの誇りなんだろうなぁ。
c0155474_23552724.jpg

ベルファストなど北アイルランドは土地も比較的豊かで産業も進んでいたから、イギリスが手放したくなかったわけなのだ。たぶん。

by sustena | 2014-07-30 23:55 | | Comments(2)
2014年 07月 29日

アラン島のセーター────愛蘭土がぶ飲み紀行#9

アラン島はン十年前からの憧れだった。

ファッション誌で荒涼とした海とともにたたずむアランセーターを着たイケメンの写真に溜息をついたし、富岡多恵子がスウィフトの生涯を辿りながらアラン島を旅した写真に、どんな土地だろうと思いめぐらした。

ゴールウェイの港からフェリーで45分ほど。アラン諸島の一番大きな島という意味のイニシュモア島につく。
5分ほど歩くと島の中心地(といってもスーパーと土産物屋、レンタルバイク店、B&Bがちょこっとあるぐらい)で、目の前にセーターを売っているお店がある。
c0155474_23401315.jpg

c0155474_23403356.jpg

アラン島のセーターといえば、妻たちが荒れ狂う海に出かける夫たちの安全を祈り、命綱をイメージさせる縄編みをベースに、万が一海に落ちて溺死しても、セータの模様でわが夫とわかるよう、各家庭で独自の模様を組み合わせて心をこめて編んだという。脱脂されていないごわごわの羊毛でできているため、重たいけれど、吹きすさぶ風と寒さから着る人を守ってくれるのだと。

でも、ものの本によると、それは美しい「伝説」であって、産業もないこの島の妻たちの「内職」として20世紀前半になって織られるようになったのだとか・・・。しかも普段編むのは紺色で(だって、白だったらめちゃくちゃ汚れるしー)、白は教会での儀式用なんだとか。えー、そうなのー???

伝説の真偽のほどはともかく、今は機械編のセーターが大半で、手編みのものはHandmadeのタグがついていてかなーり高い(アタリマエだ)。セーターも軽く、おしゃれなデザインのものが多かったよ。

近くにはロバート・フラハティ監督「Man of Aran」の看板もあった。アラン島というと、厳しい自然と戦うアラン島民の過酷な暮らしを描いたこの記録映画(というか、今でいうところの再現映像も多いとされるが)を思い浮かべる人も多いんじゃないかなぁ。
c0155474_23405030.jpg

どれほど過酷だったかというと、岩だらけのこの島には、かつては土らしい土がなかった。
たとえば司馬遼太郎が『街道をゆく』で紹介していた尾島庄太郎さんの次の文章では———
「岩盤の上に『土地』を作るのだ。岩路の砂ほこりや、道の両わきへ踏み弾かれて集まる砂利をあつめ、それに海藻を混えて畑を作る」(『アイルランド文学研究』1956)

掘っても掘っても岩ばかり。そこにワカメなどをまぜてかろうじて土をのっけるのがが、それも風によってさらわれてしまう。そこで石を積み上げて風よけとする。
今は多少は緑が広がり、花が咲いているが、よく見るとほんの数センチ下は岩盤である。
c0155474_2341625.jpg

c0155474_23413524.jpg

c0155474_23423128.jpg

c0155474_23434636.jpg

c0155474_23425190.jpg

とはいえ、そんな過酷な自然とアランセーターの魅力に引かれて、人口は約900人のこの島に、年間十数万人を超える観光客がやってくる。現在スーパー1軒、郵便局が1つ、週に2日だけオープンする銀行が1つ。でもパブは5軒!
ケルト十字の墓地を眺め、昼はロブスター料理。いい天気だった。
c0155474_23431823.jpg

c0155474_23433267.jpg


by sustena | 2014-07-29 23:44 | | Comments(2)
2014年 07月 28日

断崖コワッ!────愛蘭土がぶ飲み紀行#8

アイルランドは島国で海に囲まれているだけに、絶叫系の断崖も豊富なのだと思う。

今回のツアーでも、印象的な2つの断崖に立ち寄った。

まずは、アラン諸島のイニシュモア島、古代ケルト人が築いたといわれる、環状の石の砦跡の「ドゥーン・エンガス」。ここは、約100mの絶壁で、いったい誰がこんなところに攻めて来るんだーと思ってしまう。
柵はなく、腹這いで海面を覗き込むスリルが人気の観光地だ。

腰が引けているので、あまりちゃんと撮った写真がない。情けない。
c0155474_2242283.jpg

c0155474_22423961.jpg

c0155474_22425535.jpg

晴れてたからよかったけど、下が濡れてたりしたら・・・ゾゾッ。

もうひとつほこちらはアラン諸島対岸を南に下ったバレン高原南東端の「モハーの断崖」(破滅の崖という意味なんだって~)。こちらも、かつて要塞だったそうで、200mの絶壁。
柵がないところをずーっと先のほうまで歩く(途中で、この崖でなくなった人の慰霊碑が立っていた。このほかに注意書きがあっただけだったけど,日本だったら絶対に、乗り越えられそうもない柵をつくっちゃうに違いない)
c0155474_237989.jpg

c0155474_22483675.jpg

c0155474_2248494.jpg

ここでも腹這いになって下を覗いているチャレンジャーたちが・・・
c0155474_22492799.jpg

おまけ。こちらは北アイルランドの「キャリック・ア・リード吊り橋」。断崖に囲まれた岬とキャリック島とを結ぶ吊り橋で、高さ約30メートル、長さ約20メートルちょっと。思ったより短く、この日は日曜日で、渡るのに長蛇の列だったため何人もが一緒に渡ったので(ほんとは人数制限があるのだが、さばけないのでガンガン通していた)それほど怖くなかった。写真だとどうかな?
c0155474_22562479.jpg

c0155474_22563772.jpg

この写真は吊り橋を渡った、向こうの小島の途中の風景。
c0155474_22482146.jpg


by sustena | 2014-07-28 22:57 | | Comments(4)
2014年 07月 27日

和平までの長い道のり───愛蘭土がぶ飲み紀行#7

アイルランドに行くというと、テロは大丈夫だろうかと心配する人が何人かいた。

たしかに、北アイルランドといえば、1970年ごろから、2000年ごろまで、IRAの爆弾テロがたびたびニュースを賑わしていた。いろいろな歴史的経緯があって一言ではいえないのだけれども、簡単に記すと─。

アイルランド島北部のアルスター6州は、イギリスに属していて、プロテスタント系住民が多数を占めている。( 昔地理の授業で、グレート・ブリテン北アイルランド連合王国って習ったっけー)

少数派のカトリック系住民は、かつて就職や政治的権利などでいろいろな差別を受けており、1960年代以降の世界的な公民権運動の高まりも相まって、権利回復とイギリスからの独立をめざした活動を活発化させる。そしてイギリスのままをよしとするプロテスタント系との対立が先鋭化し、カトリック系の過激派のIRAと、プロテスタント系のアルスター警察隊、過激なロイヤリストなどが互いにテロや武力攻撃を繰り返し、毎年100名~200名の市民がなくなる事態に。

その後和平に向けた交渉の末、1998 年のベルファスト合意を経て、2005年にはIRAが武器の放棄を宣言。プロテスタント側はすぐにはIRAを信じなかったが、2007年に武装闘争の終了宣言を行い、2010年に国際的な監視のもと双方の武器が破壊され、ようやく平和が訪れた。

といっても、まだまだ分断の傷は癒えていないとのこと。

とくに、私たちが訪れたのは、北アイルランドで「オレンジ・マーチ」というプロテスタントの大行進が町を練り歩くイベントがある7月12日を過ぎたばかり。平和が訪れた今も、このパレードのあるころは、カトリックとプロテスタントの小競り合いが勃発し、負傷者が出たりするらしい。(アラン諸島で会った現地の人は、この時期にベルファストにいるのはdangerousだって言ってた。そういえば、ホテルでオレンジ色のベストを来た人たちが飲んだくれていたなー)

11日夜に行われたボン・ファイア(大たき火)の残り火が、雨のなか、いまだにくすぶっていた。
c0155474_2363958.jpg

バスの中から、独立紛争による死者の追悼施設、Garden of Remembranceを見る。
c0155474_2371524.jpg

ベルファストの町なかには、政治的な壁画が多い。1981年にハンストで死んだIRA暫定派のボビー・サンズの絵や、彼らを十二使徒になぞらえた壁画などがあちこちにある。
c0155474_2392539.jpg

c0155474_2393937.jpg

c0155474_23104815.jpg

なかでも印象深かったのは、「ピース・ライン」 (ピース・ウォールとも)と呼ばれる、カトリックとプロテスタントの住居を分断する壁。ベルリンの壁は壊されたけど、この壁は今もあって、落書きはいっぱいあるけれど、ふたつの宗教の住居を区切ってる。北アイルランドにあるこの手の壁をつなげると全長21kmにもなるんだって。
c0155474_23291830.jpg

c0155474_23171857.jpg

c0155474_23173553.jpg

c0155474_2318730.jpg

c0155474_23182466.jpg

c0155474_23184082.jpg

この日の昼食は、ヨーロッパ・ホテルで。テロを取材にやってきたジャーナリストたちがよく利用したホテルで、しばしば爆弾テロの標的となり、ギネスブックに「世界一爆破されたホテル」などと登録されているとか。
c0155474_23225790.jpg

c0155474_2323153.jpg


by sustena | 2014-07-27 23:23 | | Comments(2)
2014年 07月 25日

猫の目天気─────愛蘭土がぶ飲み紀行#6

アイルランドでは、天気が変わりやすいという。どしゃぶりのち曇り、一時晴れ、ところにより、降ったりやんだり。と、一日のうちに雨と晴れと曇りが次々に入れ代わる。なので、バスに乗りながら外を見てて、わっ降り出したと思って、また10キロぐらい行くと晴れて、このぶんなら・と期待してたら、またも雨で・・・なんてことも多かった。
c0155474_23214666.jpg

こーゆーわけで、雨は降っても一日降り込められるようなことは少なく、比較的すぐやむことも多いので、決まって降るくせに傘を持たない人が多いんだそうだ。

風はけっこう吹く。だから天気が悪くて風が強いと、夏でも薄手のセーターぐらいあったほうがいいくらい冷え込む。かくてショルダーの中には、ヤッケとストールをいつも入れ、天気に合わせて自在に温度を調節できるようスタンバイと相成る。

ガイドさんによれば、今回はラッキーな天気が多かったようで、このあとぼちぼちと紹介していく絶景系の名所を訪ねたときは決まって晴れ。

ただし、ダブリン近くでクリフウォーキングをしたときは、午前中ざんざぶりになり、午後からカーッと晴れてきたものの、湿気が多かったので珍しく霧になり、ホントは海が見下ろせるはずなのに、視界1m。雨の中のヒースが見えただけ、ってことが一度あった。
これまた旅の思い出ではある。

この向こうがホントは海

c0155474_23222056.jpg

c0155474_23224080.jpg

こんな注意看板があったが・・・。とにかくミエナイ。

c0155474_2323197.jpg


大きな窓がついた観光バスの座席から、次々に雲がかわっていく様子を眺めているのを眺めているのはちっとも飽きなかった。
c0155474_2344212.jpg

c0155474_23231532.jpg

c0155474_23232934.jpg

c0155474_23235293.jpg


by sustena | 2014-07-25 23:24 | | Comments(2)
2014年 07月 25日

アイルランド・ゲール語───愛蘭土がぶ飲み紀行#5

アイルランドの公用語は、アイルランド・ゲール語と英語だ。

17世紀のクロムウェルの侵略と、それ以降、イングランドによる植民地化が進んだ結果、アラン諸島や西の一部の地域を除いて、英語が支配的になってしまったのだという。しかし、19世紀になって、アイルランド文化の復興運動がおこり、民族のアイデンティティのためにも、自らの言葉を話さなくてはということで、義務教育でアイルランド語が必修となった。なかには夏の間アラン諸島などに宿泊して英語禁止の生活を送る、なんてプログラムもあるという。

今では義務教育だけでなく、高校・大学でもアイルランド語を学ばなければならず、小学校の教師や政治家になるためには、アイルランド語は必須のアイテムだとか。
とはいっても、多くの場合日常的に使わないので、日本人の英語のような状態の人が多いみたい。

だから、UK領の北アイルランドから国境を越えてアイルランドに入ると、道路標識などは、アイルランド語と英語の併記になる。うーん、ゼンゼンわからない・・・。

アイルランド語だけで放送する専門局があったのでテレビで聞いてみたけれど、ドイツ語やオランダ語の響きに近いような・・・

アイルランド語を話すのがいくら最近ではエリートの条件だからって、日常的に話さないと言語の生き残りは難しい。結局不毛な地が西に広がっていて、そこは侵略者もなかなかやってこずに、言語が残ったわけなのだった。
c0155474_232365.jpg

c0155474_2344250.jpg


by sustena | 2014-07-25 22:41 | | Comments(4)
2014年 07月 24日

ポテトポテトポテト───愛蘭土がぶ飲み紀行#4

アイルランドの主食はジャガイモなんじゃないだろうか、と思うくらい、どんな料理にもことごとくにジャガイモがついてきた。しかしそのバリエーションは意外に少ない。
マッシュポテトか、丸のまま揚げるか茹でるかしたか、あるいは、粉ふき芋みたいなもの。朝食にはハッシュドポテト、そしてフィッシュアンドチップス用に、フライドポテト。

一皿の付け合わせがジャガイモ2種なんてしばしばだ。最初の2枚はマッシュと揚げたの。
c0155474_22162050.jpg

c0155474_22171439.jpg

これはわかりにくいけど、魚の下にマッシュポテトが敷いてある。
c0155474_22164388.jpg

これだけでオシマイかと思ったら、茹ですぎたカリフラワーやブロッコリーとともにでーんとジャガイモが追加で出てきたりする。
c0155474_22191766.jpg
c0155474_22185341.jpg

このジャガイモ、もともとアイルランドでとれたわけじゃない。たしかコロンブスが新大陸から持ち帰ってきたのが広まったのではなかったか? やせた土地でも栽培でき、泥炭で煮ればそれなりにおいしいと、全土に普及したのは16-17世紀というが、 ではそれまではいったい何を食べていたのかしらん。

とにかく、このジャガイモ栽培が簡単で手塩にかけなくても育ったからアイルランド人がなまけものになったという話があるくらい(えー、これは司馬遼太郎センセイから仕入れた話)で、ジャガイモ栽培の広がりとともに人口もずんずん増えていったときに起きたのが、19世紀半ばの大飢饉である。ジャガイモが片っ端から腐っていったのだ。

当時の人口はおよそ800 万人。このうち100万人が飢え死にし、150 万人がアメリカなどに渡ったという。(その後も人口は流出し、ほん の30年ほどで半分になっちゃう)
一方、アイリッシュ系の移民は新天地で一大勢力となり、ついには大統領まで輩出するようになる。現在アイルランドの人口が約460万人なのに対して、アメリカ合衆国のアイリッシュ系の子孫は3600 万人とか。

思いつくままに挙げてみると、JFKやレーガンやクリントン、最近ではオバマも母方がアイルランド出身だ。それ以外の有名どころではジョン・ウェインにマーガレット・ミッチェル、 スコット・フィッツジェラルド、ジョージア・オキーフ、私の好きなパティ・スミスやトム・ウェイツやクリント・イーストウッドもアイリッシュだなぁ。

こうして見ると、レストランでジャガイモがたんと出てくるにも、なかなか一筋縄ではいかない歴史がひそんでいるのであります。

by sustena | 2014-07-24 22:49 | | Comments(4)
2014年 07月 23日

妖精の国───愛蘭土がぶ飲み紀行#3

アイルランドには妖精がいるという。
イェーツは『ケルト妖精物語』をものしたし、「妖精が出没するから注意せよ」という意味の看板が今もあるらしい(今回見ることはできなかった)。また、「ホントに妖精を見た」と証言する人もいっぱいいるんだとか。

この国ではキリスト教が広まっても、旧来のアニミズム的な感性を抹殺したりしなかった。万物に霊が宿るという想いは、日本と共通なところもあるようなのだ。

実際、ブナ(それとも西洋イチイ?)のトンネルが続く北アイルランドのダークヘッジズは、ほんとに何かの霊が宿っていそう。
c0155474_23201979.jpg

c0155474_23203287.jpg

アラン諸島のイニシュモア島には、妖精の家があった。
この家の前庭(犬の家かと思ったらネコがいた)、そして後ろに何軒か並んでる。
c0155474_23222829.jpg

c0155474_23224230.jpg

アイルランドの古民家は葦ぶきの屋根。こんな家には今も妖精がいそうだね。
c0155474_23232541.jpg

グレンダーロッホの深い森には感嘆しちゃった。
c0155474_23274578.jpg

c0155474_232816.jpg

そうそう、妖精といってもティンカーベルのようなかわいい姿をしているんじゃなくて、ゴブリンや小人みたいな感じかな。有名なのは、靴屋で財産をためこんでいる「レプラコーン」、酒蔵の番人の「クルーラコーン」、イバラのしげみや緑の丘、土の砦に住み子どもをさらっていく「シーオーク」など。
でも、こんな子どもたちを見て思わず「妖精みたい」って思っちゃうのは、ディズニーに毒されているんだろうか。
c0155474_23264484.jpg


by sustena | 2014-07-23 23:28 | | Comments(6)
2014年 07月 23日

旅の行程───愛蘭土がぶ飲み紀行#2

アブダビ経由、正味1週間、足かけ11日のツアーの行程をざっとまとめてみると・・・
c0155474_22314411.jpg

※googleの地図に主な場所をプロットしてみました。

1日目 夜成田発
2日目 早朝 アブダビ発 午後2時ごろにダブリン着、そのまま北アイルランドのベルファストへ。夕方着。
3日目 ベルファストから北上。「アントリム海岸」沿いに走り、 ダーク・ヘッジズ、「キャリック・ア・リード吊り橋」と「ジャイアンツ・コーズウェー」を見学の後、ベルファストに戻る。
4日目 ベルファスト市内観光後、国境を越え、アイルランドのロスコモンへ。
5日目 アイルランド最大の湖・コリブ湖クルーズののち、 「静かなる男」の舞台となったコリブ湖畔の村コングへ。その後、石灰岩の丘陵が続く高原を通り、200mの絶壁「モハーの断崖」、「巨人のテーブル」を見て、ゴールウェイ泊。
6日目 フェリーでアラン諸島・イニシュモア島へ。夕方再びゴールウェイに戻る。
7日目 「タラの丘」、巨大古墳のある「ニューグレンジ」を観光後、ダブリンへ。
8日目 ダブリン市内観光。午後は、ダブリン近郊海岸沿いの街、ホウスでクリフウォーキング。夜はリバーダンス鑑賞。
9日目 午前中ダブリン南のグレンダーロッホ。午後は半日フリー。
10日目 早朝ダブリン空港へ。アブダビ経由で11日目の午後に成田着。

あー、こんなふうに書き記すだけでツアーは忙しい~。でも私一人じゃ運転もできないし、とてもこんなに効率よくはまわれない。
c0155474_22345222.jpg

これはアブダビの空港の土産物屋にあったたぶんボールペン。めぼしい土産もなく、時間をつぶすのがタイヘンだった。ヨーロッパの旅行会社経由で行くと、ほとんど同じツアーが10日間に。1日目の朝成田を出て、深夜にベルファストに着く。飛行時間が長いことを割り引けば、10万円近く安いのはオトクかもしれない。

by sustena | 2014-07-23 22:37 | | Comments(0)
2014年 07月 22日

アイルランドの顔───愛蘭土がぶ飲み紀行#1

ちょっと早い夏休みをとってアイルランドに出かけてきた。正味1週間の駆け足ツアーである。

以前利用したことのある旅行会社から、毎月会員誌が送られてきて、世界各国の旅の情報がいろいろ載っているのを、金も時間もないし・・・と横目で眺めるだけだったのだが、エティハド航空を利用したアイルランドツアーが通常より10万円近い安い価格で掲載されているのを発見し、これは行くっきゃないと、あとさきも考えずに申し込んだのだった。

アイルランドは、憧れの国だった。ン十年前にイギリスを3カ月ばかりバックパックで旅したとき、スコットランドまでは出かけたのだが、アイルランドまでは行かなかった。ジョイスやスウィフトやベケットなど、クセのある文学者を輩出している国。アラン諸島の荒涼とした写真を見るたびに、一度は行ってみたいと思いながら、むざむざとトシを食ってしまっていたのが、 ほんの数行の案内に、かつての憧れがフツフツと蘇ってきたのだった。

普通だったら日本列島にたどり着く前に曲がっていくはずの台風が上陸して、出発日にかちあいそうなことにやきもきしたけれど、なんとか無事に通過してくれた金曜夜、仕事を終えて成田に向かった。アブダビ経由なので覚悟はしていたけれど、やっぱり遠い・・・・。

翌日の午後にダブリンの空港に着き、迎えてくれたのがFACES of IRELANDという250人のアイルランド市民のポートレートだった。写真家の名前はKevin Abosch。(この名前で画像検索すると、有名無名のポートレートがどとっと出てくる。アイルランド出身のアーティストだ)
c0155474_21305563.jpg

c0155474_2131197.jpg

c0155474_21313827.jpg

c0155474_21315914.jpg

アイルランド出身の人には、O'Connor、O'Sulivan、O'Donnellなど、O'ナントカという人が多かったっけ、みんな意思が強そう・・などと思いながら進む。

空港ではこのほか60年代の空港の様子を示したモノクロ写真もあちこちのゲートに掲示してあった。こんな空港好きかもー。第一印象がぐーんとアップしたのだった。
c0155474_21371727.jpg

c0155474_21595486.jpg

c0155474_21322273.jpg


by sustena | 2014-07-22 21:32 | | Comments(0)