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2012年 01月 30日

Alejandro Chaskielberg写真展『High Tide』

銀座4丁目の交差点にあるリコーのRING CUBEで、アレハンドロ・チャスキエルベルグ(Alejandro Chaskielberg)の写真展 「High Tide」をやっている。

アレハンドロさんは、1977 年ブエノスアイレス生まれ。今年、「ソニーワールドフォトグラフィーアワード」で「フォトグラファーオブザイヤー」、「ピクチャーズオブザイヤーインターナショナル」で「ベストラテンアメリカンポートレイト」を受賞するなど、世界で注目されている若手写真家の一人なんだそう。

「High Tide」ではブエノスアイレスにあるパラナ川のデルタ地帯に暮らすコミュニティの人びとを、満月の日にライティング(フラッシュライトやたいまつ)をして、10分間その場に立たせて長時間露光で撮影した作品28点が並んでいる。

入念なロケハンとリハーサルによって撮られた写真は、まるで映画の一場面にいあわせているかのよう。

作者の意向で,今回は撮影自由ということでやっほーと思ってGRDで撮ったんだけど、あの不思議な、さえざえとした月光のなか、魔法にかけられたような感覚は、私の腕ではとうてい伝わらないのだった。
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by sustena | 2012-01-30 23:48 | Art/Museum | Comments(8)
2012年 01月 29日

宮本亜門演出『金閣寺』

c0155474_21525937.jpg高校時代の友人のKちゃんからメール。なんと「金閣寺」の招待券があるから見ないかというのである。うれぴー♪ 宮本亜門が芸術監督を務めるKAAT 神奈川芸術劇場の杮落としに上演されたとき、行きたいけどKAATは遠いよねぇ・・とあきらめた芝居だったけど、2011年7月にニューヨーク公演を行い、その凱旋公演として赤坂ACTシアターで再演されることになったのだ。その初日の切符であります。

原作は三島由紀夫の「金閣寺」である。1950年7月の金閣寺放火事件をもとに、三島らしい美と青春の屈折と孤独、苦悩を描いたもの。丹後の貧しい寺の子の溝口(森田剛)は、生来の吃音から、内向的でだれともうまくコミュニケーションをとることができず疎外感に悩まされている。金閣寺を何より美しいとあがめる父親の遺志にしたがい、金閣寺の徒弟となった溝口は、そこで吃音をまったく気にせず、さわやかな明るさで照らしてくれる鶴川(大東俊介)と出合う。しかし、ある日寺にやってきた米兵と娼婦の案内をしたとき、娼婦を足蹴にした事件をきっかけに、鶴川と少しずつ溝が広がっていく。

住職の勧めで大谷大学で学ぶことになった溝口は、内翻足の障害を抱えながら、障害を武器に女を籠絡する柏木(高岡蒼甫)に惹かれていく。柏木は露悪的な毒舌で溝口の心にズカズカ入り込んでいく。そんな溝口を鶴川は気にかけるが、溝口は所詮鶴川とは住む世界が違うと言い放ち、それが彼との永遠の別れになってしまう。親友をなくし、柏木のようにも生きられない溝口は、さらに自分のうちに閉じこもってしまう。自分の内界と外界の間のさびついた扉を開け放つために選んだ道が、火を放つことだった・・・。

舞台化にあたっては、溝口が金閣寺を放火に至る心の過程がいかに描かれるか、文章であれば読者に委ねられる金閣の完璧な美を溝口がどのように感じていたか、それを観客にどう伝えるかが、カンドコロであります。

演出の宮本亜門は、映像と、大駱駝艦の身体表現、金閣寺の美の具現化である鳳凰を演じる山川冬樹
のホーメイを取り入れ、重層的に表現していた。(私はちょっとあの鳳凰が怖かったな・・)

客席に着くと、すでに舞台には私服の俳優たちが思い思いの場所にたたずんでいる。そこは教室で、黒板、机が置いてあるがらーんとした空間。そこで、読み合わせが始まるのだ。それがいつの間にか小説の中に入り込んでいく。

照明がよかったなぁ。美術も、同じ教室のまま、屏風一枚それと伊藤ちひろさんの台本がたぶん効いている。伊藤さんは、私の大好きだった「スカイ・クロラ」の脚本を担当した人。

客席は森田のファンでいっぱい。最後のカーテン・コールはファントしてはもう一度森田のかををみたいかもしれないけれども、せっかくの構成の妙がちょっとそがれてしまったよ。

原作 三島由紀夫
演出 宮本亜門
原作翻案 セルジュ・ラモット
台本 伊藤ちひろ・宮本亜門
振付 小野寺修二
照明 沢田祐二
美術 ペリス・クドゥルチカ

溝口/森田剛 
柏木/高岡蒼甫 
鶴川/大東俊介
道詮和尚/瑳川哲朗
寺の副司/花王おさむ
父・父の友の禅海和尚/高橋長英 
母/大西多摩恵
有為子/中越典子 
鳳凰/山川冬樹
大駱駝艦(田村一行 湯山大一郎 若羽幸平、橋本まつり 小田直哉 加藤貴宏)
岡田あがさ 三輪ひとみ
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by sustena | 2012-01-29 22:49 | Theatre/Cinema | Comments(0)
2012年 01月 29日

橋爪大三郎×大澤真幸『ふしぎなキリスト教』

c0155474_21273173.jpg東京工業大学の橋爪大三郎教授と、社会学者の大澤真幸氏の『ふしぎなキリスト教』(2011年5月刊 講談社現代新書)を読む。

キリスト教についての疑問の数々、ことに私たち日本人がどうもぴんとこないなーと思う部分にスポットをあて、大澤の質問を受けて橋爪が答えるという形で語り合ったもの。とてもわかりやすいという声がある一方で、事実誤認もはなはだしいという毀誉褒貶のある本で、この手の本にしては思いがけずヒットして、図書館で予約して8ヶ月経ってようやく届いたのであった。

3部に分かれていて、第一部はキリスト教のルーツというべきユダヤ教を読み解きながら、一神教とはどんな特質があるのかをあぶりだす。第2部はイエス・キリストについて。ホントにいたのか、神なのか人なのか? そして第3部が、キリスト教がその後の歴史や文明にどんなインパクトを与えてきたかをたどる。

大澤がばちあたりで頭でっかちな質問を次々に繰り出す。(半分知っていることを聞いてるんじゃないの、とは思うけどね)、一方橋爪は、そんな大胆に断言していいのかなー、そんな比喩で大丈夫なんかいとあきれるほど、ズバッと回答してて、そのキャッチボールはそれなりにオモシロイ。もっとも、ときどき、肩すかしをくった気分になるところもあるけれど。

たとえばこんな質問がある。

一種のセキュリティのために神を信仰したというがユダヤ教の歴史を見るとほとんど連戦連敗である。こんなにひどい目にあっているのに、なぜ信じているのか。一番悲惨なときにユダヤ教に磨きがかかり完成したのはなぜか。

それに対して橋爪は(1)いじめられっ子の心理。自尊心を保つためにこれは試練なんだ、とみじめな現実を合理化する。(2)たまには勝つと、ずっと負けても今度は勝つんじゃないかと待ち続ける。(3)イスラエルの民の危機が二段階で起こったことが重要であって、政治的国家が撲滅しても民族的アンデンティティを保てるようにしようと信仰を強化した。

と、三つの説を披露する。で、本気の答えは三番目なんだけど、一つ目と2つ目のインパクトつよすぎー。

また、こんな例もあった。イエス・キリストについて考えるときは、マトリョーシカを思い浮かべよっていうのである。一番内部に潜んでいるのが歴史的なイエスで、次第に一回りずつ大きくなっていく。それを、順に解説していくのであります。

興味深いのが第1部。第2部はところどころへぇーと思うけど、第3部はタイクツ。
目次を見るとだいたいどんな内容かがわかる。

第1部 一神教を理解する―起源としてのユダヤ教

ユダヤ教とキリスト教はどこが違うか
一神教のGodと多神教の神様
ユダヤ教はいかにして成立したか
ユダヤ民族の受難
なぜ、安全を保障してくれない神を信じ続けるのか
律法の果たす役割
原罪とは何か
神に選ばれるということ
全知全能の神がつくった世界に、なぜ悪があるのか
ヨブの運命───信仰とは何か
なぜ偶像を崇拝してはいけないのか
神の姿かたちは人間に似ているか
権力との独特の距離感
預言者とは何者か
奇蹟と科学は矛盾しない
意識レベルの信仰と態度レベルの信仰

第2部 イエス・キリストとは何か

「ふしぎ」の核心
なぜ福音書が複数あるのか
奇蹟の真相
イエスは神なのか、人なのか
「人の子」の意味
イエスは何の罪で処刑されたか
「神の子」というアイデアはどこから来たか
イエスの活動はユダヤ教の革新だった
キリスト教の終末論
歴史に介入する神
愛と律法の関係
贖罪の論理
イエスは自分が復活することを知っていたか
ユダの裏切り
不可解なたとえ話1~3
キリスト教をつくった男・パウロ
初期の教会

第3部 いかに「西洋」をつくったか

聖霊とは何か
教義は公会議で決まる
ローマ・カトリックと東方正教
世俗の権力と宗教的権威の二元化
聖なる言語と布教の関係
イスラム教のほうがリードしていた
ギリシァ哲学とキリスト教神学の融合
なぜ神の存在を証明しようとしたか
宗教改革
予定説と資本主義の奇妙なつながり
利子の解禁
自然科学の誕生
世俗的な価値の起源
芸術への影響
近代哲学者カントに漂うキリスト教の匂い
無神論者は本当に無神論者か?
キリスト教文明のゆくえ
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by sustena | 2012-01-29 21:25 | 読んだ本のこと | Comments(4)
2012年 01月 29日

ハワード・ワイツマン「FACING SHIBUYA」

c0155474_2381733.jpg銀座ニコンサロンで「FACING SHIBUYA」という写真展をやっている。
ハワード・ワイツマンという人で、聞いたことがなかったのでプロフィールを見たら、1967年アメリカ・ニュージャージー州生まれ。コーネル大学コミュニケーション学部卒業後、東京に住んでいて、2010年より瀬戸正人氏の夜の写真学校に参加している人だとのこと。

渋谷に集まる人たちのポートレートコレクションで、モノクロの55点の6割強かもっとが若い女のひと。あとはおばさん。男の人はちょっとでホームレス?が一人だったかな。

バスとアップよりもほとんど顔でありまして、例えば昔よく見たガングロの重そうでずり落ちそうなまつげの影が、頬に映っていたり、ハッキリ言ってみとれる美しい顔はなくて、こういうところあまり撮られたくないなーなんて感じの顔が並んでいるんである。いま渋谷北口のスクランブル交差点で出会う人をふつーに並べたら、もっときれいな人も多いと思うけど。

とにかく、作者信号を待っているとき、周りの人を見ていて、「彼らはどんなストーリーをもっているのだろう」とふと思ったりするらしい。いったいどーしてここに来たのか、買い物なんだとうか、友達に会うのか、別の用事があるのか?? いつもはすれ違ってオシマイだけど、こんなふうに写真でプリントして並べると自由にストーリーをふくらませることができる。そんな意味のことが書いてあった。

とにかく、迫力のマツ毛がズラリなんである。
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by sustena | 2012-01-29 10:56 | Art/Museum | Comments(0)
2012年 01月 26日

きのうの空

きのうクルマの中から見た夕方の空がすごく心に残ったよ。
何かがおこりそうで、とてもドラマチックだったんだけど、ボヤボヤしてるうちに取り損なって、助手席側の空をぱちり。この写真を見たら、あの空を思い出せるかなぁ。
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by sustena | 2012-01-26 22:49 | | Comments(8)
2012年 01月 26日

シスカンパニー「寿歌」

c0155474_051696.jpg2週間ほど前に、新国立劇場で「寿歌」を見た。
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核戦争ですべてが廃墟と化した街に、
    リヤカーを引いた旅芸人のゲサクとキョウコがやって来る・・・。
二人の頭上には、まばゆい光を放ちながら核ミサイルが飛び交い、
    追いかけてくる低い破裂音が世界の終わりを告げていく・・・。
そこに、どこからともなく、不思議な芸をあやつるナゾの男・ヤスオが現れた。
出会った三人は、あれやこれやの"エエカゲン"な会話を繰り広げながら、
    焼き尽くされた滅びの荒野を共に旅することになるのだが・・・・。”
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「寿歌」は名古屋を拠点としていた劇作家・北村想が自分の劇団向けに書き下ろした芝居で、80年代にその明るい虚無感がブームを巻き起こした作品である。この上演が決まったのは東日本大震災の前だったというが、どうしても何もない廃墟が広がる空間は今回の震災を連想させるであろうし、30年のときを経て、どのように表現されるのか興味があって(しかも堤真一が主演だし)観に行ったのだった。

ちょっと期待しすぎだったかもしれない。

松井るみの美術はよかったし、派手な衣装もよかった。でも、いまの気持ちにフィットしなかったというのが正直なところ。

北村が今回新たに書き加えたという冒頭のシーンも余分だったような・・・。

それでも、「ゴドーを待ちながら」の変奏のようなこの「寿歌」のホンは古さを感じさせることはなく、食べ物を増やすだけしか能のない、キリストを思わせるヤスオは、だれも救うことはできずに去っていくし、ゲサクとキョウコは、絶望も死ぬこともできない状況だし、生きる意味もわからないけれども、やっぱり前へと進むのである。

松尾スズキのヤスオだったら、どんな感じかなー。
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作/北村 想  演出/千葉哲也

ゲサク・・・・堤 真一
キョウコ・・・戸田恵梨香
ヤスオ・・・・橋本じゅん

美術/松井るみ 照明/笠原俊幸  衣装/前田文子 音響/長野朋美

by sustena | 2012-01-26 00:05 | Theatre/Cinema | Comments(0)
2012年 01月 25日

蜷川幸雄演出「下谷万年町物語」

c0155474_2341448.jpg先日、シアターコクーンで、唐十郎作、蜷川幸雄演出の「下谷万年町物語」を見た。かつて蜷川が西武劇場で、男娼役だけで100人超えという迫力で、主演が当時まだあまり売れていない渡辺謙で大評判になった伝説の舞台の再演である。1981年のことだから、もう30年にもなる。

もういい加減、蜷川はいいかなーと思っていたんだけど、もう売り切れで立ち見席しかないと思っていたところへ、最前列に床に座る形式の席を急きょ用意したというので、やっぱりフラフラと切符をとってしまい、観に行ったのである。

そこは椅子の最前列の前にクッションを並べただけの席で、しかも本水を使っているから、ざんぶドッバーンと派手に水がかかる、それを覚悟してね、という席であった。

まぁ本水はコクーン歌舞伎で慣れているし、とはう思ったものの、始まってみると舞台手前のひょうたん池に、主役の文ちゃんと洋一が、必然性もないのにざんぶざんぶと飛び込むから、ハッシと透明ビニールシートで身構えるのだが、脇から水がとととっと流れてきて、けっこう濡れたなー。

そのうえ、3幕では、血のりが飛ぶかもしれませんって、おいおい・・・。

ストーリーは・・・。
戦後の匂いがぷんぷんする昭和23年。上野と鴬谷の真ん中に位置する下谷万年町。八軒長屋に復員兵や男娼が住みついていた。ある夜、上野一帯を視察に訪れた警視総監一行の帽子が盗まれる。犯人はオカマのお市率いる一味。その帽子を持って、お市の部下・お春のイロの洋一(藤原竜也)が姿をくらましてしまった。権力の象徴である帽子を取り戻そうと必死のオカマたち。一方、洋一が小道具係として働いている劇団“軽喜座”の座長もまた、この総監の話を芝居仕立てにして当てようとたくらみ、帽子の行方を探している。
お春に頼まれて洋一を探すことになったのが、少年・文ちゃん(西島隆弘)。文ちゃんと洋一は、なぜか二人とも6本の指を持っている。瓢箪池で洋一と文ちゃんが再会する。そんな二人が瓢箪池の底で見つけたのが自殺未遂を図ったキティ・瓢田(宮沢りえ)。キティは、戦争中に別れ別れになった演出家の恋人を探していた。キティと洋一、文ちゃんは、キティが主演するはずだった「サフラン座」の旗揚げを決意するが・・・。

唐のセリフはいつもながら意味不明なのに謳いあげるよねぇ・・・・。

宮沢りえは透明感があってすばらしー。藤原竜也はワンパターンな感じはあったけど、水に濡れた洋一がキティを抱いて登場するシーンなど絵になるわー。西島隆弘がおもいのほかよかったのはめっけもん。群衆シーンはいつもながら迫力でありました。
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出演
宮沢りえ、藤原竜也、西島隆弘
六平直政、金守珍、大門伍朗、原康義、井手らっきょ、柳憂怜、大富士、沢竜二、石井愃一、(唐十郎 ダブルキャスト)他

by sustena | 2012-01-25 23:39 | Theatre/Cinema | Comments(2)
2012年 01月 25日

なんの生肉??

日曜日、会津からトロ箱が届く。いったい何? とあけてみると、氷がどーんと入っていて、中に発泡スチロールのトレイが2つ。赤黒っぽい色で、なにやらタレがついている。しかし、効能書きも何も入っておらず、外側のラベルに「生肉」と書いてあるだけ。何の生肉だろう・・・・・???

送ってくれた知人に、電話を入れてみるが、この電話は現在使われておりません・・と流れる。伝票に記してあった番号が違っているらしい。調べ治してかけてみたが留守である。

箱に会津若松のヤマゴ精肉本店のラベルが貼ってあったので、ネット検索。馬刺し専門店であった。でもいったいどれくらいもつんだろう? そこで、ヤマゴ精肉本店に直接電話してみたところ、スライスして真空パックにしたもので、家庭の冷蔵庫なら4日ぐらいもつとのこと。

えー、毎日食べても4日間じゃなくならないよー。しかも大食漢の息子は白馬にスノーボードに出かけている。そこで急きょ馬刺しの会を催すことにした。

じゃーん、あずき色でねっとり光ってたよー。
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熊本の馬刺しみたいな霜降りとは違うけど(もちろん、部位によっても違うね)、やわらかくて臭みがなくておいしい。ちょっとびっくり。

食べきれなかったので残りは昆布〆にしちゃった。

by sustena | 2012-01-25 01:17 | 食べ物 | Comments(0)
2012年 01月 25日

びっくり!大あさり

先日、会社か歩いて3分ぐらいのところに、見慣れない店があって、ランチメニューの看板が出ていた。おばんざいとか、だし巻卵焼きセットなどがある。いまいちコストパフォーマンスが悪そうな感じがしたけれども、初めての店なのでトライしてみることに。

聞くと去年の11月にオープンしたという。食欲がいまひとつだったので、大アサリのにゅうめんを頼む。
すると、こーんなに大きいんである。
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単体で見るとサイズがわかりにくいだろうか。も一度、定食全体を撮ると
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ひたすら大きかった!

味は・・・。けなすほどじゃなかったけど、もう行かないっと。

by sustena | 2012-01-25 00:27 | 食べ物 | Comments(6)
2012年 01月 23日

『11ぴきのネコ』

c0155474_2254146.jpg先日、紀伊国屋サザンシアターで、長塚圭史演出による、井上ひさしの『11ぴきのネコ』を観た。

井上ひさしの比較的初期の作品で、チラシに子どもとその付添いのためのミュージカルとあったので、子ども向けがメインだろうか?と懸念していたのだが、前のほうのいい席を放出するとのニースを見て、やんぱりチケットを買ってしまったのだった。なんたって、北村有起哉が出るし♪

実際のところ、子どものためではサラサラなく、大人のためのミュージカルで、見終わってずいぶんと経つのに、いまだに「11ぴーきのネコ♪」と口ずさんでしまう。

ストーリーは───

野良ネコにゃん太郎は、ある日十匹の野良ネコ仲間と出合う。俺たちには何もない、とブータレる野良猫たちの中にあって、ニャン太郎は、おなかはすいたって、自由がある!と意気軒昂。みんなでおなかをすかせていると、鼠殺しのにゃん作老人が、遠くの星の下に大きな湖があって、そこには食べきれないほどの大きな魚がいるということを教えてくれる。このままいては野垂れ死にだ、と大冒険の旅に出たネコたち。無事に大きな魚をゲットできるのか?

物資は乏しかったが希望に満ちあふれ、お互いの間にやさしさが満ちあふれていたあの頃。お腹は空っぽだったけど、胸にはちきれそうな、理想と希望があったあの頃。しかし・・・・。エンディングは苦かったよ。

これまた、つい先日読んだ井上ひさしの「ふかいことをおもしろく-創作の原点」(PHP研究所 2011年4月刊) を思い出した。これは、NHKBSハイビジョンで2007年9月20日に放送された番組、「100年インタビュー/作家・劇作家 井上ひさし」をもとに原稿を起こし、単行本化したもの。

これまでの人生を振り返り、父がめざした道を自分も歩こうと思っていたこと、親分肌だったお母さんのこと、文学を本格的に志したきっかけや劇の創作術などが、平易な言葉で語られる。

ことに印象に残ったのは、これまでにもさまざまに目にしてきたメッセージだが、「笑いとは何か」について語った章。
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苦しみや悲しみ、恐怖や不安というのは、人間がそもそも生まれ持っているものです。人間は、生まれてから死へ向かって進んでいきます。・・・・(略)

この「生きていく」そのものの中に、苦しみや悲しみなどが全部詰まっているのですが、「笑い」は入っていないのです。なぜなら、笑いとは、人間が作るしかないものだからです。それは、一人ではできません。そして、人と関わってお互いに共有しないと意味がないものでもあります。

(略)

人間の出来る最大の仕事は、人が行く悲しい運命を忘れさせるような、その瞬間だけでも抵抗出来るようないい笑いをみんなで作り合っていくことだと思います。

人間が言葉を持っている限り、その言葉で笑いを作っていくのが、一番人間らしい仕事だと僕は思うのです。
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作=井上ひさし 演出=長塚圭史 音楽=宇野誠一郎・荻野清子 美術=二村周作 

キャスト
北村有起哉(にゃん太郎)、中村まこと(にゃん次)、市川しんぺー(にゃん蔵)、粟根まこと(にゃん四郎)、蟹江一平(にゃん吾)、福田転球(にゃん六)、大堀こういち(にゃん七)、木村靖司(にゃん八)、辰巳智秋(にゃん九)、 田鍋謙一郎(にゃん十)、山内圭哉(にゃん十一)、勝部演之(にゃん作老人)

by sustena | 2012-01-23 23:18 | Theatre/Cinema | Comments(2)