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2008年 02月 02日

「迷子の警察音楽隊」

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シネカノン有楽町でイスラエル映画「迷子の警察音楽隊」を観る。

文化交流のためにイスラエルにやってきた、エジプトのアレキサンドリア警察音楽隊。空港についたものの出迎えはなく、独力で目的地〈ペタハ・ティクバ〉に行こうとするが、ついたところは、ホテルもない、がらーんとした辺境の町〈ベイト・ティクバ〉だった。しかも、バスは1日1本だけ。いまさら引き返すこともできない。食堂の女主人・ディナに食事を出してもらい、一行は3つのグループに分かれて、その街で一夜を過ごすことになる。

団長のトゥフィークと、ハンサムな若手団員カーレドはディナの家に。20年間、団長の助手をつとめてきたシモンら三人の楽団員は、食堂の常連のイツィクの家に。イツィクは1年近くも失業中で、しかもその日は妻の誕生日というのに!

長年対立していた、ユダヤ人とアラブ人。接点もまるでないし、いきなりなごやかに過ごせるはずもない。音楽は国境を超えて・・なんてすんなり行くのではなくて、それぞれワケアリの登場人物たちのおずおずとしたコミュニケーションが、少しずつ積み重なって、固い氷がじわじわ解けるように、あたたかい気持ちがつながっていく。

地元の若者パピ(オンナを知らないwebデザイナーとゆーイメージ)のダブルデートにくっついていったカーレドが、パピにデート指南をする場面、警察音楽隊が勇壮な行進曲でなく、なぜウム・クルスーム(いってみれば、優美で泣き節の民族音楽)を弾くなんてと尋ねるディナに、「なぜ人に魂が必要なのかと聞くのと同じだ」とトゥフィークが答える場面、作曲中の協奏曲のエンディングに悩むシモンに、イツィクが「協奏曲のラストは、派手に盛り上げるのではなく、明かりと赤ん坊が眠るベッドがある小部屋のように、静まって、深い寂しさが漂う感じ……」という意味のことを話しかける場面。どれもじわ~っと効いてくる。

キャストはいずれもハマリ役。監督は1973年イスラエル生まれのエラン・コリリン。オススメ。

写真は夕方の銀座。空の色がとろんとしていて、工事中の壁の前に占い屋さんが出ている。

by sustena | 2008-02-02 22:08 | Theatre/Cinema | Comments(1)
Commented by Cakeater at 2008-02-03 11:11 x
おもしろそうだなあ。見に行くリストにメモしましょう。
迷子の話なら三社祭の神輿巡行でもありましたね。
誘導の警官が地方出身で浅草の地理不案内
(あの祭りに出動している警官は群集規制訓練もかねて関東一円から
集められているから地理はわかんなくて当然なんです)
のため、わっしょいわっしょいやって見知らぬ街。
それで、現在は神輿の上にカメラをつけて、今どこにいるか中央指令室がチェックしているのだとか。
これをそっくり映画化すると日本版「迷子の三社祭」ができるかも。


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