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2008年 01月 25日

荒木経惟『写真への旅』

c0155474_065739.jpg荒木経惟の『写真への旅』(光文社文庫 2007年5月)を読む。これは、昭和50年(1975年)、「アサヒカメラ」に連載された「荒木経惟の実戦写真教室」をまとめ『現代カメラ新書13 写真への旅』(1976年5月朝日ソノラマ)として刊行されたフォトエッセイを再編集したもの。

アラーキーはまだ30代半ば。日本全国の写真愛好会のメンバーを生徒に、倉敷、ヒロシマ、神戸、山陰、(もちろん東京も)へと旅をする。彼らを相手に、写真にとっていちばん大切なのは何かをアラーキー節で自在に語るのだ。

曰く、「自分とは関係ない人物や風景をじょうずに作品ぽく撮ることがプロフェッショナルに近いとでも思っているのだろうか」と。「私現実」から始めよ、とひたすらに説きつづける。

月例コンテストのための写真を撮るために、村へ村へ、祭りへ祭りへとあくせく出かける。そんな、老化しつつある集団影法師を救済するための教科書としてアラーキーが挙げるのは、『庶民のアルバム明治・大正・昭和「わが家のこの一枚」総集編』なのだ。それこそが写真の原点を教えてくれる。写真論で頭でっかちになっていてはダメ。リアリティから出発せよ、というわけだ。

また、「世間を構図で見てしまっている写真家の動脈硬化をふせぐのに役立つ写真修業術」として「股右エ門撮影術」を紹介する。なんのことはない、股の間から撮影する術。「この修業を毎朝1年間つづけると、肉体の硬化をもふせぐことができる」というんである!

「自分にはまったく才能がない、才能があるのは世間様だと信じて、感じたモノをバーチバチ撮りに撮り」まくること。そして「自分が撮りに撮りまくったへたくそな写真を、くりかえしつりかえし見ること。その中には自分の『私性』が必ずあるはずである」。その見つけ出した「私眼」を信じて、また撮って撮って撮りまくれ。

アラーキーのコトバがすごく熱い。

先日読んだアラーキーの『写真ノ話』(白水社 2005年10月)よりずっーとおもしろかった。

(こちらは、3部構成で、1部はラジオ放送でのアラーキーのトークを5話収録したもの。2部は電通の社員をやっていたころから独立して、いろいろな写真を撮り、陽子さんをなくし、最近の日本人の顔を撮るまで、40年間の写真をまとめた「ARAKI by ARAKI」の写真をたどりながら、写真人生を語ったもの。第3部は和多田進によるドキュメンタリーについてのロングインタビュー。この本をいまいちと感じたのは、知ってる話ばかりだったから。でも、写真集をみて、アラーキーがどんな人か知りたいッて向きには手頃な1冊かもしれない)

下の写真は、強風がビュンビュン、おそろしく寒かった幕張で。なにしろ、ビジネスマンが、風をまともに浴びないように、歩道橋を後ろ向きになって(しかもケータイで話しながら)、歩いてたぐらいだ。寒そうな感じはぜんぜん出せてないんだけど。なんかガラーンとした街なんだよね。
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by sustena | 2008-01-25 00:07 | 読んだ本のこと | Comments(0)


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