2008年 01月 02日

東京都写真美術館「土田ヒロミのニッポン」

恵比寿ガーデンプレイスにある東京都写真美術館で開催中の「土田ヒロミのニッポン」展を見る。1月2日はなんと全館、無料であった。ラッキー。

3部構成である。

パート1は「日本人」。青森や伊勢神宮などの、日本の古い宗教的な空間や祭り、土俗的な文化を描いた「俗神」(1968-75)。日本人の群衆としての姿を活写した「砂を数える」(1975-89)。バブル経済に沸くニッポンの夜のパーティシーンを切り取った「パーティ」(1980-90)。バブル経済が崩壊して以降の、群れながらもバラバラな新世紀の群衆をカラーで描いた「新・砂を数える」(1995-2004)。「俗神」の続編として、祭りのカタチをの大判のカラーで伝える「続・俗神」(1980-2004)。

パート2は「ヒルシマ三部作」。被爆体験記『原爆の子』のその後の消息をたどりポートレートを撮った「ヒロシマ1945~1979」、原爆遺跡を記録した「ヒロシマ・モニュメント」。そして、ヒロシマ平和記念館に残る、衣服やベルト、弁当箱などの遺品を一点ずつ接写した「ヒロシマ・コレクション」(1982~94)

パート3は1986年7月から現在に至るまで、毎日1枚自画像を撮ったものを並べた「Aging─時間を巡る私」。証明写真を約20年分一覧にしたものとあわせて、1日を30分の1秒のコマにしてつないだ映像も流れていて、1年が12秒、20年分が約4分の映像作品になっている。いつから老化するのか、緩慢な変化を捉えてみたいとはじめたものだという。

きょうは、土田ヒロミ氏によるギャラリートークも催されていて、かぶりつきで解説を聞いた。印象的な話を書き留めておく。

●「砂を数える」
ある数学の本の一文からタイトルがひらめいた。「アルキメデスは全宇宙の砂の数をかぞえてみようと思い立った」。無限を数量化しようという行為。その言葉を見つけたことによって、それまでの漠然とした思いにねらいが定まった気がした。
撮り方としては・・・大勢人が集まっているところで、バッと撮る。カメラ目線のひとがいないのがいい。カメラ目線の目は強いから。もうこのあたりでおしまいにしよう、と感じたのは、大喪の礼を撮ったあたりで。ひとつの時代が終わった感じが強くした。

●「新・砂を数える」
6×7で撮ったのをスキャニングしてプリント。デジタルは粒子感や色の感覚がまるで銀塩と違う。そこを逆手にとって、通常ではありえない色合いにした。空の色や赤の色など、色をひとつずつ、彩度を上げたり、色相をいじっている。いわば絵と写真の分水嶺みたいな感じで。写真的でないのにまぎれもない写真であるというおもしろさ。fakeな感覚を出したかった。このシリーズ、「ウォーリーを探せ」じゃないけど、どこかに必ず、写している自分を入れるイタズラも。バーチャルだぞ、ということを表してるわけ。

●「続・俗神」
最初、俗神のカラー版ということで、カラーでスナップで撮り始めたんだけど、どうもおまつりのルポを超えられない。そこで、現場で架設スタジオをつくり、バックを白にして、大型ストロボを何台もつけて光をあてて撮った。8×10の大きいフィルムで、これは、それをエプソンの協力で、スキャニングしたのをデジタル出力した。ものすごく大きいデータで、読み込むだけで30分もかかるような重たさ。これだけ大きくすると、銀塩なら粒子があらわれるのに出ない。これってデジタルの持つ特性だと思う。
銀塩の膨大な色データを、スキャニングでうまく取り込んでいる。でもバックの白地などはデジタル処理でさらに白くしているし、すね毛なども実は1本1本切り抜いてる。すごく手間がかかってる。そうすると、人間の目を超えるほどのディテールが出てくる。
バックを白にしたというのは2つの意味がある。ひとつは、日本の古い神事にみられる古いカタチや、私たちが見ているようで見逃している日本のイメージが記号的に立ちあらわれるから。
もうひとつは、まつりの背景や古い文化的な背景がいまやなくなりつつある。その神事を支えてきたメンタリティやバックグラウンドが消えてしまったことを伝えることができるから。


●「ヒロシマ・モニュメント」
ヒロシマには、原爆ドーム以外にも、樹木や煙突など、さまざまなものが遺跡として残っている。それをモニュメントとして、それを取り囲む周辺の空間も入れ込んで撮る。周辺はどんどん変わっていく。それは、戦後のニッポン人の力だろうけど、みんなは気にもとめないかもしれないけど、そのモニュメントと気づかれない木々は被爆者かもしれない。そんなうつりかわりを10年ごとに定点観測していきたい。被爆100年後は、自分は生きていないけど、そのためのデータづくりの意味も込めている。


●タイトルについて
タイトルは最初から決め込むんじゃなくて、自分を突き動かすものに動かされるようにして撮っていって、その途中、真ん中あたりで決まるのがちょうどいい。最初からこのコンセプトで、とやっていても、往々にして干からびたコンセプトだけが残っちゃうことになりかねない。

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どの写真も興味深い。デジタルと銀塩の違い、モノクロームとカラーの違い、テーマについてなどいろいろ考えさせられた展覧会だった。オススメ。

写真は、恵比寿駅からガーデンプレイスに向かう動く歩道風景と、美術館近く、会場のエレベーター。いずれもGRDII。

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「文学の触覚」展と「スティルアライブ」展もをわせてチェック。「文学の触覚」のほうは、ちょっと企画がけが勝ち過ぎの印象。森村泰昌がミシマの自決シーンを演じたポートレート「なにものかへのレクイエム」が印象的。林忠彦の作家のポートレートもよかった。企画展のねらい以外のほうが興味深かったなんて言ったら悪いかな。

by sustena | 2008-01-02 23:09 | Art/Museum | Comments(0)


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