2017年 04月 28日
京都国立博物館の開館120周年記念特別展覧会「海北友松」を観てきた。 海北友松は、あのぎょろ目の龍の絵などは何度も観ているけれど、どんな人なのかは実はほとんど知らなかった。1533年に近江浅井家の家臣の家に生まれ、若年を東福寺で過ごしたが、主家や兄が信長に滅ぼされたのち、還俗して狩野派に弟子入りのだという。 このため今ある作品のほとんどは、狩野派から独立したのちの60歳以降のもの。建仁寺大方丈の雲龍図などは65歳以降なんだって。うむー、私よりトシなのに、あのエネルギッシュな絵ときたら!! ‘袋人物’といわれる人物のラインののびやかさ、大胆な余白。自在な描きっぷりに驚いてしまう。 なくなったのは83歳。最晩年まで絵筆をとり続けたのだとか。「花卉図屏風」などゴージャス♪ 展覧会は10のパートに分かれていた 第一章 絵師・友松のはじまり―狩野派に学ぶ― 第二章 交流の軌跡―前半生の謎に迫る― 第三章 飛躍の第一歩―建仁寺の塔頭に描く― 第四章 友松の晴れ舞台―― 第五章 友松人気の高まり―変わりゆく画風― 第六章 八条宮智仁親王との出会い―大和絵金碧屏風を描く― 第七章 横溢する個性―妙心寺の金碧屏風― 第八章 画龍の名手・友松―海を渡った名声― 第九章 墨技を楽しむ -最晩年期の押絵制作- 第十章 豊かな詩情―友松画の到達点― 最後の部屋にあった、米国・ネルソン・アトキンズ美術館の「月下渓流図屏風」。土筆の色が印象的だった。
by sustena
| 2017-04-28 12:54
| Art/Museum
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Comments(4)
狩野派から独立したのですか。
三行目のところまでしか、知りませんでした。 わたしは、来週67歳になります・・・・・。
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友松といったら、なんといっても、友達の首が晒されたときに、槍持って殴り込んで首を取り返して供養したという画家とは思えぬ武勇伝ですねえ。絵も無茶、硬派というか、固いタッチぐいぐい描いてる勢いが好きですねえ。
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sustena at 2017-04-30 21:48
iwamotoさん、友松はずっと画家なんてと言ってたようですが、狩野派から独立して、あの時代にあのトシで自分の画風を打ち立てて、かつ自在なのびやかな筆に、あらまほしきことだなーと。
Commented
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sustena at 2017-04-30 21:53
Cakeaterさん、今日の日曜美術館で取り上げてたので、もう一度、 ナルホドーと思って、見ました。雲龍図の年老いたるいた龍が、知り合いの老カメラマンにそっくりで、友松もひょっとして、あんな表情をする人だったんじゃないかろ思ったり。京博はゆったり見られてよかったデス
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