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2016年 03月 17日

四月は少しつめたくて

c0155474_221404.jpg少し少女趣味ではあるんだけれど、谷川直子さんの『四月は少しつめたくて』(河出書房新社 2015年4月刊)という小説がよかった。

詩を書けなくなった大物詩人・藤堂隆雄の担当になった、果実社の今泉桜子。大手出版社の女性誌の編集者だったが、あることをきっかけに退職し、「月刊現代詩」に就職したのだ。病気で入院している社長のかわりに藤堂の担当となり、藤堂に新作を依頼することになったのだが、詩についてはほとんど素人で、藤堂にパチンコや競馬場に連れていかれ、金を貸すはめに・・・。桜子は藤堂に振り回されながらも、藤堂のもとに通うが、大詩人は一向に詩を書いてくれない。

詩を書かなくなった藤堂が食い扶持を得ているのが、カルチャーセンターの詩の教室だった。そこには、イケメンの藤堂ファンの女性が集っているのだが、その教室に一人の母親が加わる。清水まひろである。クラスメートが自殺未遂をしたのは、娘のクルミのせいだと難癖をつけられて以来、家族に対してもまったく口をきかなくなった一人娘を心配し、なんとか元の活発な娘に戻す手がかりを得たいと、娘の部屋にあった詩集の作者のもとを訪ねたのだった。

この小説は、詩をつくることを求める桜子と藤堂の話と、詩とは何かについて教える詩人と生徒たちの2つの物語が平行で進み、後半には両方の世界がまじわっていく。
登場人物たちは、詩とは何か、いまやすっかり軽くなってしまった歌詞やLINEやSNSで飛び交う言葉は詩とどう違うのか、なんてことをしきりに話す。そして、どうしたら相手に届く言葉を紡ぎだせるのか、意味を失った言葉にもう一度意味を持たせるためにはどうしたらよいかについて、真剣に悩む。といっても、こむずかしい話ではなくて、登場人物たちの会話に共感しながら、私たちも同じ問いをかみしめる感じ。

最後、ふたたひ詩を書くことを宣言する藤堂のセリフ。

詩とは、心の内側に下りていくための階段だ。
詩の言葉というのは特別なんだ。すべてを吐き出してギリギリまで痩せているか、あるいはあらゆるものを飲み尽くし見事に丸々と太っていなくちゃならない。
何度繰り返されても消費されない強さを持った言葉、それが詩の言葉のあり方なんだ。

この小説は、タイトルと同じ、こんな言葉から始まる。

四月は少しつめたくて、それから少し背伸びしている。
だから私は四月が好きだ。

そしてストーリーはじわじわっと展開し、最後の5ページのあたりでは、

・・駅の改札を出ると、四月のにおいがした。同じ景色なのに四月はどこか新しく見える。だからわたしは四月が好きだ。

と、1年が経ち、

整った蛍光灯の光が、少しだけとんがった四月の空気を静かにかくはんして、いま生まれた感情を夜のすみずみまで伝えてゆく。
朝になったら、開いたばかりの桜を見つけにいこう、とわたしは思った。

で終わる。
これは、藤堂、桜子、まひろとクルミ、それぞれの再生の物語なのだ。
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by sustena | 2016-03-17 22:14 | 読んだ本のこと | Comments(2)
Commented by iwamoto at 2016-03-18 06:44 x
サステナさんが解説すると、とても上手なので、いつも自分が読んだ気がしてしまいます。 どうしたら良いのでしょうか。
Commented by sustena at 2016-03-18 15:04
読んだ気になってもらっては困ります!もしこれはというのがあったら、ちゃんと現物を読んでね。でもiwamotoさんとは、まったく趣味が違いそうだからな・・・。


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