2015年 02月 03日

竹本住大夫『人間、やっぱり情でんなぁ』

c0155474_0113868.jpg昨年5月の東京公演を最後に竹本住大夫が89歳で引退し、文楽の楽しみの半分ぐらいを占めていた場所がポッカリ空いてしまったような気がする。うーん、寂しい。そんな折、秋に出版された『人間、やっぱり情でんなぁ』 (竹本 住大夫【著】/樋渡 優子【聞き書き】文藝春秋 2014年10月刊)がと図書館にあっので借りてくる。住大夫師匠が耳元で直接語りかけてくれているような心持ちになる本だ。

脳梗塞で倒れ、懸命のリハビリをした日々。引退を決めた経緯、先人たちの身の引き方、そして文楽を語り続けて68年、その苦労と稽古一筋の生活、いまの文楽に何が必要かなど、本当に心から文楽が好きで、しゃべってもしゃべってもつきることない思いが溢れ出ている。

言語のリハビリが辛くて、二度泣いたという。
「自分が情けのうて、『先生、なんで僕、これが言えるへんねんっ』と机叩いて、泣いてしまいました」。
もういっぺん、もういっぺんとお願いして、1時間の予定のリハビリが、すぐ1時間半に延びてしまう。こうして倒れて半年後に舞台復帰したのだった。

おもしろかったのは、「間」で語るという部分。

これまで大夫の語りについて、眉間から声出すとか、息を一杯吐くと浄瑠璃がわかりやすいとか「ことば(せりふ)」を語ることをお話してきました。それとは矛盾するように聞こえるかもしれませんが、大夫は、あれだけ沢山のことばを口から出していながら、「間」で一番、多くのことを語ってまんねんで。なにも言うてない、息を詰めてる時間にです。
・・・(略)・・・あいだの空白の部分に、おどろきとか不満とか嬉しさといった、話す人の感情があらわれてます。・・・(略)・ ・・
浄瑠璃はふつうの会話の延長にあるものです。せりふとせりふの間で、ぐっと息を詰めるときに、ことばを言うてる登場人物のこころかお客さんにわかるよう、「情」を込めます。「間」がみじかすぎると、深い感情が伝わらないので、十分に「間」をとってから余裕をもって息を引く。ぐっと腹に力を入れて、息を詰めてるだけで、浄瑠璃がそれらしゅう聴こえます。

同じく文藝春秋から2003年8月に出た「文楽のこころを語る」とあわせて読むのもいい(重なる部分も多いけれど)

目次
第1章 春のなごりに―引退まで
第2章 師匠、先輩、弟子―修業とリハビリの日々
第3章 貧乏には勝たなあかん―三和会の長い旅
第4章 デンデンに行こう―私が育った戦前の大阪
第5章 文楽道場に生きる―教えること・教わること
第6章 そして文楽はつづく

先日、久しぶりに歩いた公園で、ジョウビタキを発見。近くだったんだけど、ヤマブキの枝の後とか、ちょこまか動いて、なかなかいい位置にじっとしていてくれない。
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by sustena | 2015-02-03 23:18 | 読んだ本のこと | Comments(0)


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