2014年 12月 26日
タイトルになんなんだ? と思って、本田 由紀先生の『もじれる社会』(筑摩新書 2014年10月刊)を読む。もじれるというのは、筆者の造語かと思っていたら、ちゃんと辞書に載っているらしい。超高齢社会が進展し、問題が山積みの現代日本社会にたちこめている、「もつれ」+「こじれ」=「もじれ」た、悶々とした状況を指すらしい。 本田先生は東京大学大学院教育学研究科教授で、『若者と仕事』、『多元化する「能力」と日本社会』『「家庭教育」の隘路』『軋む社会』など、戦後日本型循環モデルがほころび、ハイパー・メリトクラシーが進むいまを、分析している社会学者であります。 この本は、2007年から2013年にさまざまな雑誌に綴った本田先生の論考やインタビューをまとめたもので、新書だけに読みやすく、先生のオハコの戦後日本型循環モデルの終焉についてかじるにはいいけれど、ちょっと食い足りない気分が残るのは、まぁ仕方がないか。 戦後循環型モデルとは、高度経済成長期から安定成長期にかけて主流をなした、教育・仕事・家族という3つの社会領域の間に形成された日本社会の基本構造をさす。 政府が学校教育への支出を抑制している分を、家庭が学校外教育で補いながら子どもの将来を支え、高校や大学では教員や就職部の支援を受けながら就職活動をし、在学中に内定を得、労働界に新規労働力を提供、企業で正社員となった彼らが得る給料で家族を形成し、子どもの教育をサポートするという、教育・仕事・家族それぞれの社会領域のアウトプットを、次のインプットとしてソゾ着込むような矢印が一方向的に成立しており、日本政府は公共事業を代表とする産業政策を通じて仕事の世界を支えてさえいれば、教育や家族に対する直接の財政支出を低水準に抑制できたのだ。 しかし、教育と仕事を結ぶ矢印があまりにも強くなったがゆえに、教育の世界のの中では、いい生成をとっていい高校や大学に入り、いい会社に入るために勉強するというような動機付けが蔓延してしまった。 また父親が家族を養うために、会社人間、社地区と呼ばれる企業組織の従属につながる・・などさまざまな矛盾や綻びが生じ、さらにこの循環そのものが、バベル崩壊以後変容していく。ことに仕事の領域での非正社員の増加などによる格差拡大が深刻化している。 日本社会では「能力」をめぐる社会的フレームワークが、学力および人間力(いったいいこれをどう測れるというのだ!)という二つの「垂直的多様化」=格差化に偏り、すべての人々が居場所と出番を持つことができる「水平的多様化」の面ではきわめて脆弱である。加えて「能力」の形成と発揮をめぐる責任が個人および家族(とくに母親!)に帰属されているため、多大な弊害をもたらしている。 分析はご説ごもっとも。。では処方箋は・・となると、とほほの気分になるのも仕方ないかなぁ。 第1章 社会の「悲惨」と「希望」 1「悲惨」について 2「希望」の現場より 第2章 戦後日本型循環モデルの終焉 1 格闘する思想 2 激動する社会の中に生きる若者と仕事、教育 第3章 若者と雇用 1 若者にとって働くことはいかなる意味をもっているのか―「能力発揮」という呪縛 2 若者と雇用をめぐる現状―何が求められているのか 第4章 教育のアポリア 1 普通科高校における“教育の職業的意義”のあり方 2 専門高校の意義を再発見する 3 いじめ・体罰・自殺の社会的土壌 第5章 母親・家族への圧力 1 いま、家庭教育を救うには 2 不安の中で先祖返りする若者たち―「夫は外、妻は家庭」意識の増加 3 親としてのあり方 4 「人間力」の圧力―女性たちは何を求められているのか?)
by sustena
| 2014-12-26 00:15
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