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2014年 05月 30日

隈 研吾『僕の場所』

c0155474_21584074.jpg隈研吾の書き下ろしの自伝的な建築エッセイ『僕の場所』(大和書房 2014年4月刊)を読む。

この本は、ロラン・バルトの『彼自身によるロラン・バルト』に着想を得て、隈研吾という建築家が、これまでの来し方を振り返りながら、その発想の原点となる育った場所や読んで影響を受けた本など、隈という樹木の幹を創り上げてきた土壌について説き起こした本。

生まれ育った大倉山、農家のジュンコさんちについて---まわりは全部死んだような郊外住宅地だったのに、そこは、大地とふれあい、野菜を育て、生命のニオイに満ちあふれた場所だったこと、そんな里山と地続きだったような場所に、父が少しずつ工夫して増築を重ねてきた家に住んでいたこと、幼いときに遊んだ竹ヤブやへ土間、,父が「だましだまし」住まいを作りあげてきた精神が、自分の建築の発想にも息づいていること。

幼稚園時代、7駅離れた田園調布幼稚園に通ったことで、「都市計画」と、教会という「建築」に出会ったこと、デザインが好きじゃない電車に乗りたくないとダタをこねたことが、現状を否定する「拒否権」強い真の第一歩であったこと。それが後年の『10宅論』にもつながっていること。

そんなひねくれたこどもが、丹下健三の代々木体育館に衝撃を受け、国を背負う垂直の意思に触れ、建築家を志すようになり、中高校と通った栄光学園で、共同会志向で身体を重視するイエズス会の精神にふれ、そこでの黙想体験のときに読んだ吉田健一の『ヨオロッパの世紀末』によって、進歩や工業化などはもはや時代の徒花で、真の近代とは、反ユートピア的で、優雅で諦念に満ちた成熟した文化こそがその特徴であって、小さい建築、弱い建築へと目を向けていかなければならないと感じるようになる。

そして、大学に進み、鈴木博之や構造家の内田祥哉、原広司に会い、そこで学ぶことで、建築家としてどうあるべきか何をめざすべきかを血肉のものとしていく。

いささか牽強付会の部分がないではないけれども、建築はいまいちおもしろくなくても、素材の発掘やコンセプトのまとめあげた方、地元やクライアントの巻き込み力は天下一品の隈研吾だなぁと、自身のこれまでの作品を上手に自分史の上に実に上手にまとめていることかと、ほおお・・・と思ったことでした。


第1章 大倉山1
(境界人/マックス・ウェーバー/ゴシック/本経寺/農家/エンゲルス/湯河原カントリークラブ/孔、橋/里山/シングルスキン/床/土間/黄色い長靴/竹ヤブ/崩れかけた家/積み木/千鳥/隙間)

第2章 大倉山2
(フレキシブルボード/正方形/設計会議/後藤勇吉/現前性/増築的/中央郵便局/ブルーノ・タウト/関係/歌舞伎座/ブリコラージュ/安さ/紹興酒/光天井/ワイシャツ/ファブリック)

第3章 田園調布
(アーツ・アンド・クラフツ/田園調布幼稚園/拒否/10宅論/セパ孔/レイトカマー/代々木体育館/獣医/垂直)

第4章 大船
(イエズス会/身体/中間体操/黙想/ヨオロッパの世紀末/反ユートピア/1970年/大阪万博/メタボリズム/反建築/トレー/細胞/CIDORI/シカゴ万博)

第5章 サハラ
(オイルショック/モダン/虚の透明性/アメリカの時代/鈴木博之/ジョサイア・コンドル/内田祥哉/スクラッチタイル/フラット/木造精神/オープンシステム/バックミンスター・フラー/テンシグリティー/原広司/サバンナの記録/鏡/湿った集落/コンバウンド/植物/小さなもの)
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by sustena | 2014-05-30 22:01 | 読んだ本のこと | Comments(0)


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