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2013年 03月 02日

小林信也『江戸の都市プランナー』

c0155474_2312612.jpg地元図書館に出かけたら新刊で小林信也さんの『江戸の都市プランナー』(柏書房 2013年1月31日刊)という本があったので借りて読む。

明暦や天和の大火のあとの江戸の都市計画や江戸のまちづくりを担った人の話が載ってるんだろうかと思ったんだけど、かなりアテがはずれてしまった。

主人公は熊井理左衛門。文政~天保の時代に、深川で代々名主をつとめる熊井家の養子に入り、深川の町名主を手始めに、町奉行から重用され、ついには町名主の頂点に立ち、江戸市中の水路の川浚事業などに辣腕をふるった人。しかし、江戸の砂糖商人から収賄を受けとり便宜を図ってやったかどで、安政四年(1857)暮れに名主の地位を追われ、翌年2月に投獄されてしまう。この本は、理左衛門の牢獄での生活から始まるのだが、当時の牢獄はどんなシステムで、牢名主はどんなふうにふるまっていたのか、といった記述が冒頭でエンエン続く。そうそう、高野長英も牢名主をやっており、囚人からかすめとった上がりで、故郷の実母に仕送りまでしていた、なんて脱線話がへへぇーだった。

そして、第2章で牢獄にいる理左衛門が若いころに思いをはせ、20歳の当時平次郎と呼ばれていたころを階層回想する形で話が進んでいく。深川富岡八幡宮の祭礼で崩壊した悲劇に遭遇したこと、その後、名主として他の名主の模範になっていく歩みが語られるのだが、先に進んでも進んでも、いったいどこがプランナーなんじゃい!タイトルに偽りありではないか~という展開なんであります。

最後の方でちょろっと、理左衛門を筆頭とする強力な名主組織の存在が、天保期の江戸の都市社会が抱える諸問題の解決を引き受ける組織として活躍を続けたといったまとめに入るわけなんだけど、一番肝心のところが、はたしてどこからが想像でどこまでがエビデンスに基づいた話なのか判然としないし、また、最近の歴史モノのテレビのように、突然再現映像よろしく、見たわけでもないのに小説風の語りが入るのはなんだかなー。

第1章 理左衛門、七十一歳で牢獄に入る
第2章 理左衛門、深川の町名主になる
第3章 理左衛門、町奉行から重用される
第4章 理左衛門、町名主の頂点に立つ
第5章 理左衛門、江戸を大掃除する
第6章 理左衛門、罠にはめられ逮捕される
c0155474_22193814.jpg

久々のX-E1

by sustena | 2013-03-02 22:21 | 読んだ本のこと | Comments(8)
Commented by iwamoto at 2013-03-03 14:36 x
「階層する形」で進む。
よく考えると、この字の当て方は正しいですね。
偶然か深慮か分かりませんが、頭は快走しているようで、うらやまし。
Commented by sustena at 2013-03-03 17:40
わー、これは派手だわー。お恥ずかしー。
Commented by 小林信也 at 2013-03-03 19:06 x
エビデンスにもとづいた話ということであれば、巻末の参考文献にあげた、山川から出た単行本の7章と、関東近世史の学会誌の論文を読んでみてください。内容は一緒で、いちおうそっちが実証論文です。
Commented by sustena at 2013-03-03 21:34
ひえー、こんな門外漢のコメントにいたみいりますm(_ _)m
たしかに一般向けの読みやすさを優先するものでは、どこまで実証的に記すかという按配はとてもむずかしいとは思います。(ここ数年、某金融関係の広報誌で、記事に対していつもエビデンスはどうなっていると問い詰められているので、ついそのクセが・・・)
今回のいちばんの収穫は、名主がこんなにも配下を束ねるに力があったのだということと、その仕事範囲の広さの一端に触れたこと、理左衛門という存在を知ったことでした。
Commented by 小林信也 at 2013-03-04 17:41 x
ぶしつけなコメントでした。ごめんなさい。ちょっと言い訳すると…タイトルの件は、おっしゃるとおりかもしれませんね。ただ、まあ、いろいろ「大人の事情」もあって。私の原稿を読んで「都市プランナーと題するのがよい」と考える人もいらっしゃったということです、はい。私個人は、良いタイトルだと思っています。都市プランナーもいろいろということで(笑) それから、歴史バラエティーの「再現映像」、僕は好きです。学者が書く学術論文も、煎じつめれば、あれと一緒じゃないかなと思ってます。 ともあれ、最後までお読みいただいてありがとうございました。
Commented by sustena at 2013-03-05 00:39
いえいえ、コメントありがたく拝見しました。
ところで歴史モノの再現映像は私はあまり好きではなく、「見てもいないくせに~!」とよくテレビに向かって怒鳴っております。羽田澄子監督が岩佐又兵衛の絵巻「山中常磐」をなめるように撮った「山中常磐」のドキュメンタリーでも、又兵衛の生涯をたどるときに、母を再現映像で出したので、試写会で監督がいらっしゃったときに、なぜイメージを限定させちゃうのでしょうかと伺ったことがあります。わかりやすさを優先したことと、母の大きさを伝えたかったとおっしゃってましたが。
なので、理左衛門の川浚のシーンなど、苦手感が先に立ってしまったのかもしれません。
Commented by 小林信也 at 2013-03-05 10:21 x
なるほど。ただ、歴史学者の学術論文だって、例外なくそのすべてが、「見てもいない」ものを、さも見てきたかのように書いたものです。ごくごく限定された「エビデンス」の上に構築した、フィクショナルな「再現」に過ぎません。
ちなみに、川浚のシーンは、実際に理左衛門の下で働いていた、ある名主のかなり詳細な作業日誌(巻末の参考文献にあげた『重宝録』第6がそれにあたります)をもとに書きました。理左衛門の心理描写はもちろんまったくのフィクションですが、やっている作業自体は、それなりに「迫真」の「再現映像」のつもりです。
Commented by sustena at 2013-03-05 14:17
川浚のシーンの件は、なるほど、確かな文献をもとになさっていたのですね。そういった直接的なものがなくとも、複数の史料を読んでいると、きっとその人物像が立ち上がってきて、その光景がありありと目に浮かぶのでしょう。(同級生の『黄金太閤―夢を演じた天下びと』の著者なども、史料の山にわけいっては、そこから見える世界にひたっていました)。
次回はナナメ読みせずに、他の著悪をじっくり拝読いたします。(江戸の露店の研究などもおもしろそうです)
あとがきにあった近世都市江戸が近代都市東京へと変貌していくなかでの都市行政の在り方についての今後の著作を楽しみにしています。
ところで先生のご興味は江戸・東京のほかに、イタリア、ウンブリア、料理とか。こちらのほうがさらに興味深いデス。


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