2012年 10月 09日

斎藤 環『被災した時間―3・11が問いかけているもの』

c0155474_22364798.jpg岩手県出身の精神科医で「ひきこもり」や思春期・青年期の精神病理を専門とする斎藤環さんの『被災した時間―3・11が問いかけているもの』(中公新書 2012年8月刊)を読む。

この本は、東日本大震災以降に、毎日新聞に連載したコラムや、他の媒体で発信していた被災と原発をテーマにした文章や対談、座談会をまとめたもの。内容的に重複するものもあるし、時間の経過とともに事態が変化し、ややそぐわなくなったものもないではないが、修正なしに再録されている。

このため、被災地から離れた地域にいた誰しもが直面した、当初の多少躁じみた、ハイテンションのさなかの思いと、1年以上経っていまなお復興のとば口、あるいは「被災中」にある現状を前に、専門家として、一国民として、市民として何をなすべきかの問いかけとに接し、この1年半の自分自身の気持ちの揺れをあらためてリアルに思い出した。

斎藤さんが発言にあたって気を配ったのは、「できるだけ悲観的な変化を強調しないスタンス」で発信すること。「これで日本は何もかも変わった」「経済も文化をすべて終わった」というコメントは自暴自棄的な表出でしかない。ともかく「淡々と日常に復帰」しようということに徹したという。

この本の中で斎藤さんが繰り返し引用していたのが、みずからホロコーストを経験したユダヤ人の詩人ツェランの言葉である。大きな喪失を前にしたときに私たちは「言葉を失う」が、いっとき世界から言葉が根こそぎに奪われるようなことがあっても、私たちは言葉とともに生き延び、言葉私たちを励ましていく。

「それ、言葉だけが、失われていないものとして残りました。そうです、すべての出来事にもかかわらず。しかしその言葉にしても、みずからのあてどなさの中を、おそるべき沈黙の中を、死をもたらす弁舌の千もの闇の中を来なければなりませんでした。言葉はこれらをくぐり抜けて来、しかも、起こったことに対しては一言も発することができませんでした。──しかし言葉はこれらの出来事の中を抜けて行ったのです。抜けて行き、ふたたび明るい所に出ることができました──すべての出来事に『ゆたかにされて』」

このほか、ふむ、と思ったことなど。

斎藤さんは昨年7月に夏休みを前倒しして医療ボランティアとして被災地に入った。「こころのケア」と声高に言っても、被災者が積極的に悩みを打ち明けてくれるわけではない。血圧を測るという行為を通じて、少しずつコミュニケーションが図れるようになる。PTSDの事例はさほど多くないが、心配されるのは、その後の「ひきこもり」やアルコール依存症などの悪化である。

震災格差について。ソーシャルキャピタル(社会関係資本、人と人のつながり)の豊富さによって明暗が分かれる。

過去2回の反原発運動がなぜ衰退していったのかを教訓に、これからの脱原発は「闘争」ではなく「交渉」を旨として100年程度のスパンで本気で脱原発をめざすべし。
阪神・淡路大震災の復興計画が完了には16年の歳月を要した。今回の震災は最低でも30年、原発問題を含めたら40年という期間が必要になる。その間にほかの災害が襲ってこないとも限らない。とすると、今後も被災期間が続くという思いで、脱原発を指向していかねばなるまい。その覚悟がいる。

1 3・11とどう向き合ったのか─ 2011年3月~7月

「復興」の10年を若者の希望に/雅子妃への、きわめて控えめな提言/チェルノブイリにはなり得ない/危機をチャンスに変えるために/3・11をココロニ刻んで/複合災害 心への影響?被災した時間/ムダ=冗長性の大切さ/傷から言葉へ、言葉から傷へ──パウル・ツェラン『パウル・ツェラン詩集』/被災地への7月/「東日本大震災と<こころ>のゆくえ/対談「日常」の回復のために精神科医は何ができるか

2 原発事故の渦中で―2011年8月~2012年3月

放射能とケガレ/医療ボランティアとして被災地に入って/放射性物質汚染とデモ/TPP参加問題/「絆」連呼に違和感/放射能トラウマとリスク/がれき受け入れ問題/最大の懸案は福島の被災者のメンタルヘルスである/被災県出身者鼎談 私たちにとって「東北」とは何か

3 3・11が問いかけているもの

この一年をふり返って/精神科医として/脱原発と終わらない被災期間
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by sustena | 2012-10-09 22:36 | 読んだ本のこと | Comments(0)


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