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2012年 05月 20日

伊東豊雄×中沢新一『建築の大転換』

c0155474_11443429.jpg建築家の伊東豊雄と思想家の中沢新一による対談集『建築の大転換』(筑摩書房 2012年2月刊)を読んだ。

3.11後、建築や建築家がどうあるべきか、いまの社会をどのように問い直していかなければならないかが各分野で議論されてきて、その方向性を大胆に提示したものかなあと期待をこめて読んだのだけれど、ちょっと頭でっかちなだけな感じだよー。

しかも、第1章と第3章にそれぞれ伊東と中沢の3.11を経ての考察が掲載され(中沢の考察は2011年7月に行われた伊東建築塾での特別講義の収録)、第2章に2009年7月の青山ブックセンターでの対談と、2011年2月の伊東豊雄設計事務所設立40周年パーティでの対談、2011年3月10日(直前!)に行われた伊東建築塾プレイベントでの藤森照信も参加しての鼎談(伊東と藤森はいずれも諏訪出身である)、そして同じ伊東建築塾での2011年7月の対談が収録されていて、対談中によいく言及されている中沢の「建築のエチカ」(初出は1983年)の収録という構成なので、寄せ集めで、出版社の惹句にある
「3・11後の建築は、ここからはじまる。自然と敵対しない建築とは?10万年スパンでみた人の営みとは?最前線で生きる2人が、建築と日本の未来を説き尽くす」
というのはいかにもオーバーすぎっ!なのであった。

中沢は前々から「建築という知的なシステムの外部にある自然をどうやったら建築の内部に取り組むくとができるかを考え抜いてきた」伊東の建築における仕事と、彼が思想の領域で探求してきたこととの間に深い共通点があると語る。そして、ありとあらゆるものをお金で計算するような第一種交換でなく、自己と他者が見分けがつかない「キアスム(交叉)」状態をつくりあげてしまう関係である「第二種交換」の原理、論理では把握できない非線形的な関係が生まれる場によって人の心が満たされるような環境や構造を建築や社会に取り組んでいかなければならない。そのヒントになるのがチベットの寺院なのだ、みたいな話をする。

一方で伊東は、復興の都市計画はいままでの建築家が「都市デザイン」という言葉で手がけていたものとは全く違うこと。建築をつくる人間と住む人間の間が乖離しているようなものではなく、自然と人間の境界を解いて近づけることのできる建築、近代以前の日本の住宅にすでにあったような考え方を取り入れながら、使う人と話しながら一体になってつくりあげることが必要だと語る。
そのためには建築家が王者のように君臨するのではなく、自然と人間が生活する世界の「ネゴシエイター」として機能しなくちゃいけない。
(「みんなの家」が何の変哲もない木造建築である点は共感したんだけど、その後テレビで見た、復興後の釜石への提案で彼が示したものが合掌造りが点在したようなプランだったのはちょっとがっかりしたぞ)

中沢の発言はときどきハテ??とついていけないところもあるんだけど、ひらたくいうと別に目新しい話じゃないよねぇ・・・。(でも『アースダイバー』はちょっと読んでみようかなと思ったのでした)。

はじめに

第1章 地域と公共性の大転換 (伊東)

第2章 人と自然の大転換(対談と鼎談)

「伊東豊雄の建築」を中沢新一と考える
自然と人間をわけない建築
縄文のこころと建築
震災が建築につきつけた問題とは

第3章 エネルギーと建築の大転換(中沢)

補論 建築のエチカ

おわりに
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by sustena | 2012-05-20 11:47 | 読んだ本のこと | Comments(0)


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