2010年 12月 12日
昨日は、地元の仲間とやっているラジオ放送の今年最後の公開放送だった。 新しくスタートした詩の番組で、石垣りんの「公共」と「童謡」という2篇の詩を紹介していて、私は石垣りんというひとの詩は、「自分の住むところは/自分で表札を出すにかぎる・・」から始まる「表札」という詩しか知らなかったのだが、一読わかりにくところのない清明な表現がたたえる深い意味に感じ入ってしまった。 「童謡」はこんな詩だ。 お父さんが死んだら 顔に白い布をかけた。 出来あがった食事の支度に 白いふきんがかけられるように。 みんなが泣くから はあん、お父さんの味はまずいんだな 涙がこぼれるほどたまらないのだな と、わかった。 いまにお母さんも死んだら 白い布をかけてやろう それは僕たちが食べなければならない 三度のごはんみたいなものだ。 そこで僕が死ぬ日には 僕はもっと上手に死ぬんだ 白い布の下の 上等な料理のように、さ。 魚や 鶏や 獣は あんなにおいしいおいしい死にかたをする。 こういう詩に「童謡」と名付けたのはなぜなんだろう。 反省会をかねた宴会はわが家から。熊本産の馬刺しがおいしかったよー。 GRD3
by sustena
| 2010-12-12 13:36
| つれづれ
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Comments(4)
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esiko1837 at 2010-12-12 19:42
この記事とこの写真・・・もう。
白い布の下じゃなくて、上にね。 なんか生々しすぎて食欲がわかない気がするんだけど。 でも詩の内容にはピッタリなのね。 私のような凡人には、よくわかりません。
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Lucian
at 2010-12-12 20:26
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童謡の定義は、「童心をそれにふさわしい言葉で表現した、子供のための歌、または詩。(広辞苑)」ですからそのものズバリの感があります。
葬儀の時に泣くのは物心がついた年代以後の人ばかりです。 幼児は人が死ぬことが悲しいということをまだ学習していないので泣かないのですが、裏返して言えば、社会的な感情であって自然なことではないということです。 生まれてくることと死ぬことは一対になっていて、どちらも自然なことです。 どちらも新しい世界への旅立ちであり、昼と夜の移り変わりのように循環しています。 片方が喜ばしいのにもう一方が悲しいというのは、ある意味で不自然なことかもしれません。
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sustena at 2010-12-12 22:10
esikoさん、馬刺し(右はタテガミ)は薄く切らないとめちゃグロテスクですね。
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sustena at 2010-12-12 22:13
Lucianさん、広辞苑の童謡の定義にはナルホドでした。 生きていることと死ぬことは地続きで、台所から思索/詩作を続けてきたひとの、思いなんでしょうね。
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