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2010年 04月 22日

渡辺保『私の「歌舞伎座」ものがたり』

c0155474_2138315.jpg渡辺保さんの『私の「歌舞伎座」ものがたり』(朝日新書 2010年2月刊)を読む。

1年ばかり続いた歌舞伎座のさよなら公演も、今月でおしまいで、いよいよ建替えとなるわけだが、その歌舞伎座に、5歳・昭和16年から通いはじめ、戦後(昭和26年)に再建されて以来、歌舞伎座の58年間の舞台をことごとく見てきたという演劇評論家の渡辺保さんが、この歌舞伎座の思い出を自身の過去を振り返りながら綴った本。

新書ながら、深々とした味わいがある。
なにしろ、渡辺保さんの文章ときたら、その舞台を見たことがない私の目にも、ありありとその情景が浮かぶように、役者の動きや表情、心根、その魅力をあますことなく伝えてくれるのだから。

私はここ2-3年のにわか観劇歴で、過去の名舞台のことをひたすら想像するだけなんだけど、そして×代目といわれても、いまの歌舞伎役者たちの顔と名前がようよう一致しだしたにすぎないから、系図やら、これまで聞き知ったエピソードを思い浮かべ、たぶんあの人のことかな・・と思いながら読むしかないんだけど、そんな私でも、しみじみと名舞台を思い浮かべ歌舞伎座をしのぶことができるような気がするほどで、こりゃなんとまぁ大した筆力だろう。しかも、実に明晰で読みやすい文章なのである。まるで自分の頭がクリアーになったような気がする。

ところで、4月の最終公演は、チケットを取ろうと思ったんだけど、1階席の後ろだったり、2階席しか空いてなかったので、迷った挙げ句やめちゃった。通でないわが身には、大枚払って取るチケットであればこそ、花道寄りの10列目以内で見る、と決めているのである。それより遠いと、近眼の悲しさ、役者の表情が見えないのだ。臨場感もまるで違うし。

渡辺保さんは、戦後自分の小遣いで歌舞伎を見ていたときは、もっぱら3階席だったという。でも1列目でなければ花道の七三の位置が見えないから、切符を取るのにかなり苦労したと書き記す。その後、東宝に勤めて、劇場同士の付き合いがあるから歌舞伎座の人にも可愛がってもらうようになり、自由に芝居を見られるようになっからも、2階の一番後ろを定席としていた。そこが1階のいい席よりも全体が見えるということ、もうひとつは、同じ演劇関係者として、役者が汗水たらして働いているのをいい席でのんびりと他人事のように見るのが失礼だという気持ちがあったからだという。やがて劇評を書くようになって、招待されるようになっても1階席に降りようとはしなかった。
しかし、歌右衛門が最後の玉手御前をやったときは、絶対1階で、しかも花道のよく見える席でと説得されて初めて1階に降りた。花道で歌右衛門が兄をするかはすべてわかっているから、花道が半分しか見えない2階席でもいいと思っていたが、花道の出を見て愕然とする。逆七三でいったん止まり、また歩きだす歌右衛門の七三までの芝居が実に深い。これを見なければ本当の批評はかけないかもしれないと、以来、わがままをいうのをやめたというのである。

いつかちょっとでも渡辺保さんのように、舞台を読み解くことができたらなぁ・・・。ムリだけど・・・。

追伸)先日テレビを見ていたら、松井今朝子さんが、子どものころたった一人で新幹線に乗って歌舞伎座に観に来たものだって話をしていてビックリ! 
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GRDIII

by sustena | 2010-04-22 21:28 | 読んだ本のこと | Comments(0)


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