2008年 11月 09日
先日、新国立劇場でイタリアの劇作家であり、ノーベル賞作家であるピランデルロの未完の戯曲『山の巨人たち』を観た。 なんと表現したらいいんだろう・・・と思ったまま、書けずにいた。夢とうつつを行ったり来たりするような芝居で、演劇論、狂気と正気、芸術家と観客について、登場人物が語る。ひとことでいえば、芝居をめぐる高級なおとぎ話であります。 以前黒テントの芝居で、同じピランデルロの『作者を探す6人の登場人物』を観たことがある。メタ演劇的な構造の好きなひとなんである。少々難解で、不条理なところもあるんだけど、あまり難しく受けとめずに、舞台で交わされる会話の響きに、そのまま身をまかせちゃうのがいい。 演出は、パリのオデオン座で芸術監督を務めたジョルジュ・ラヴォーダン。 幕が開くと、舞台に大きな太鼓橋がかかっている。 現実世界に絶望して山荘に隠遁する魔術師コトローネ(平幹二朗)。ある日、そこにおちぶれた旅の一座がやってくる。一座の看板女優イルセ(麻実れい)は、正気と狂気を行き来している。一夜の宿を借りた劇団員たちは、山荘で夢の中に引きずり込まれ、幻想的な体験をする。翌朝コトローネは、「山の巨人」と呼ばれる二家族の結婚式の余興に、ある芝居を上演しないかと持ちかける。それは、イルセの愛人であった座付き脚本家の作品で、それを書いたあと自殺してしまい、上演がかなわなかったいわくつきの作品なのだ。 いったい、山の巨人たちは誰なのか、作品の上演の首尾は・・・とその続きを知りたいところで、ピランデルロの作品は閉じられる。その後の経過は、作者が息子に語った内容の要約が字幕で綴られ、イルマの人形とともに幕。 仮面劇や人形劇の味わいもあり、ひとつひとつのシーンは夢幻的で美しい。 とはいえ、イルマに狂気と正気の縁をさまよう感じがもっとあったら(高貴さは申し分ないのだけれど)。平幹二朗のセリフは胸に届くものの、あと一歩何かが足りない……。手塚とおるもなんだかミスキャストのような。ちょっとがっかりだったな。
by sustena
| 2008-11-09 23:57
| Theatre/Cinema
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